太郎くんの常識

できるはずのことが、できない

 太郎くんとの生活が始まってからの数週間は、日々の生活の流れに慣れるのに四苦八苦で、どんな日々を過ごしていたのか思い出せないほど毎日が必死でした。そんな日々がしばらく続き、生活の流れにもだいぶ慣れてきたと感じ始めた頃、太郎くんの言動から気付いたことがありました。

 それは、「このくらいの年齢ならできるはずのことが、できない」「このくらいの年齢なら知っているはずのことを、知らない」ということでした。

 このことに気付いた私はまずは「何故だろう?」と疑問に思い、自分なりに分析してみました。

いつも家にいるとは限らない

 太郎くんは我が家に来るまで、家庭で生活をしたことがありませんでした。そのため太郎くんは「お父さんって何?」「お母さんって何?」と言った感じで、「家族」という概念がない——。家庭で暮らしていると、わざわざ大人たちが教えなくても毎日の生活を通して様々な知識が子どもに自然と身につくものですが、太郎くんにはその機会がなかったので、自然に身に付く知識量が圧倒的に少なかったのです。

 太郎くんにとって児童養護施設は「生活の場」、そこが彼の「おうち」です。でも、子どもたちを養育する大人たち(職員)にとっては、そこは職場であり、自宅は別の場所にあります。そして当然ながら、児童養護施設の大人たち(職員)は、勤務中に子どもたちの「おうち」から離れることはありません。

 一方、家庭では専業主婦・主夫でない限り、親は仕事に出掛け、子どもは保育園や幼稚園で一日を過ごします。私たちと暮らし始めた頃の太郎くんは大人と子どもが「自分のおうちとは別の場所で一日を過ごすこと」がうまく理解できず、苦しんでいるように見えました。

絵本の読み聞かせを通して

 この件だけとってみても大きな違いがありますが、挙げたらきりがないほど私の中の「常識」と太郎くんの中の「常識」には、想像を超えるほど違っていました。

 「この差をどう埋めたらいいのかな……」と考えました。が、もしかしたら私は、大人である自分の「常識」を太郎くんが持ち合わせることに期待していたのかも知れません。それを期待するのではなく、解決策を見出すべきだと思い、まず私は「方法」ではなく「方針」を考えました。

 方針は、太郎くんというひとりの人間と、これまで太郎くんが培ってきた経験や知識を尊重し、本人に合ったペースややり方で教えていくことに決めました。太郎くんの経験や知識から大人である私が学べるかも知れないのに、それを頭ごなしに「ダメ」と決めつけてはいけないはずですから。

 次に、その「方法」です。これは私が自分で説明するのではなく、「本の読み聞かせ」を通して教えてみることにしました。職場の近くの図書館から絵本を借りて、毎晩、太郎くんを寝かしつける際に「読み聞かせ」を行うことにしたのです。

 数日後、太郎くんが、ひげをそりながら身支度をしている夫のことを不思議そうにじーっと眺めていることに気づきました。そこで、私はその日の本に「おとうさんのいちにち」を選びました。お父さんは「起床したら身支度をして電車に揺られて出勤し、昼間は会社で働き、退社したら帰宅して家族とのだんらん、入浴、就寝」という一日の流れを説明した本を読んであげる——このように、太郎くんの様子や起きた出来事、季節感などを考慮し、太郎くんが楽しみながら学べるような絵本を私なりに選び、読み聞かせを継続していきました。

 ときには太郎くんから、「この前、読んだ〇〇の本をまた読んで」とのリクエストを受けることもあり、私の戦略は成功したのかなと少し嬉しくなることもありました。

図書館は私の大親友

 太郎くんのための絵本を借りるついでに、図書館で自分用の本を借りることが増えました。児童養護施設の職員さんから頂いた本(第20話参照)で、「無条件で自分を子どもに差し出し、子どものありのままを受け止め続けること」の大切さなどを読んでから、児童心理学に興味を持ち始めたからです。

 太郎くんとの関わりを通して、私は自分自身が子どもだった頃を振り返る機会が何度もありました。私の場合、「私と同居し、私を育てた大人たち」は、父方の祖父母と両親ですが、彼らは無条件で自分たちを私に差し出し、ありのあままの私を受け止め続けてくれました。その結果として今の私がいるわけですが、それは良い意味で衝撃でした。その衝撃を受けて、心理学、特に児童心理学について、もっと知りたいと考えるようになったのです。

 また、児童心理学の知識は、これからの太郎くんとの生活にも役立つかもしれません。この頃から、図書館は私の大親友となりました。児童心理学に関する本を片っ端から借りて読みまくり、読めば読むほど興味がわいてきました。里親体験記や社会的養護に関する本もたくさん読みました。

 太郎くんを通して、それまでに知らなかった世界を知り、ひとりの子どもがひとりの人間として、こんなにも人や社会に影響を与えてくれることも知り、考えるようになったことがあります。それは、「世の中には大人の事情で社会的養護を必要とする太郎くんのような子どもたちがたくさんいる……。私ができることは何だろう?」ということです。

 いつか本格的に児童心理学を勉強して、子どもたちや社会にもっと貢献したいと思います。

 我が家の特別養子縁組体験記はまだまだ続きます。次回もお楽しみに~!

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