鋼のメンタルを作るなら
介護って何だろう?

【やまなし介護劇場
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。

青春を振り返ったお花見イベント

 今年も桜満開の景色の中を母とドライブすることが出来ました。

 車窓から桜並木を楽しみ、木陰に車を停めて、タケノコご飯のおにぎりと、ほうれん草のお浸しとお茶でランチ。ささやかだけれど、春のいい時間でした。

 先月は、あるお花見イベントに日帰りで東京へ出向きました。長年お世話になった居酒屋が閉店し、お店のママと常連さん達が集うお花見でした。

 20代の多感な頃からその店に通って、ママに愚痴を聞いてもらったり、私の青臭さを受け止めてアドバイスをいただいたり、飲み代をツケにしてもらったりした(笑)、まさに私の「東京ママ」。その店がとうとう閉店すると聞き、諸行無常とはいえ帰る場所を失ったような気になったのは私だけでなく、同じように感じていた人々が桜並木の下に集うイベントでありました。  

 当時(30年ほど前)、その店には演劇人をはじめ多種多様な顔ぶれが集っていて、若い私が大いに刺激を受けた場所でした。時を経てお花見で皆さんと再会。それぞれ変化はあれど、今も精力的に活動を続けている人々に対して心から敬意を抱きました。

鋼のメンタルを醸成する酵母菌

 敬意――。

 若い頃、私は本当に青臭くて、人間関係にも「勝ち負け」という物差しを使い、人に対する「敬意」という大切な尺度を持ち合わせていなかったと思います。自分に良くしてくれる人にだけ敬意を払い、それ以外の人には敵意と言っても過言ではないような感情を抱いていた時期さえあった気がします。

 今振り返ると……、私はとても怖がりだったのかもしれません。

 私が長いこと持ち合わせていなかった他者への「敬意」。この当たり前の「心のエチケット」を育ませてくれたのは、やはり親の介護経験が大きいと思います。

 思い通りにならない介護に七転八倒しながら、私は簡単には壊れない鋼のメンタルを醸成しつつあります。そして、その鋼のメンタルの酵母菌こそが「敬意」だと、今なら自信をもって表明できます。

 「人は誰でも老いる」ということを、親は自らが壊れていくことで、子どもに表現してくれます。もちろん、それは親の本意ではありません。当の本人が「誰よりも怯えて、不安になっている」のですから。それをキャッチできるか否かが、この感受性を育めるか否かにかかっていると思います。

 父の認知症が進行した時、同じことを何度も聞いてくる父に、こっちがイライラすると怒り出してしまうことに私はホトホト呆れて、疲れ果てていきました。しかし、専門家が言う「怒っちゃいけない」というアドバイスを実践し、何度も同じことを聞いてくる父に、その都度、今初めて聞いたように応えるようにしてみたら、父の反応に変化が現れたのです(もちろん、声色のみ優しくする時だってありました、苦笑)。時折とはいえ、父は私に質問したあとに「あ~、〇〇だったな」と、私の応えを待たずに自分で納得する様子を見せるようになったのです。その後もそれを続けるうちに、会話途中にどこかでチューニングが合うのか、こちらが優しくし続けることに疲れる前に、会話が着地点に辿り着くことが何度もありました。  

 その様子を見て、ハッとしました。老いていく親の様子に子どもがショックを受けている以上に、親は自分が自分でなくなっていくことに、とても傷ついている……。

 それに気づいた時、すでに私が親の介護を始めてから7年が過ぎていました。その時まで「自分は親の犠牲になっている……」などと、自分の事しか考えていなかった頭を思いっきり殴られたような気分になった、と同時に大切なことがようやく見つかったような、なんとも清々しい気分になったことを覚えています。

 敬意――。

 人は誰もが老いていきます。親だけでなく、東京のママや無礼な若者だった私に多くのことを教えてくれた大事な人たちも、みんな老いていくことを絶対に忘れてはいけないのです。それこそが自分が抱ける「敬意」であり、人生において大切なエチケットだと思います。

満開の桜の下で……

 4月1日は我が父の祥月命日でした。

 ささらほうさらだった父は、母が退院後も介護にはちっとも協力的ではありませんでしたが、相変わらず陽気に楽しく日々を過ごすことが大好きで、春になれば花見ドライブ、夏になればあれ、秋になればこれ、と……常にうずうずしっぱなしでした。

 でも今思えば、母が倒れて以来、少しづつ父の認知症も始まっていたのかもしれません。

 母の退院直後に、強くせがまれてみんなでドライブに出かけた場所は県内の大きな神社でした。

 そこには「天下泰平」と書かれた看板がありました。その看板を背景にした両親の写真は、まるで天下泰平な二人を表したかのようで、その姿をフレームにおさめながら、私は少しだけ清々しい気持ちになりました。

 時を経て――。  

 さまざまな悲喜こもごもを経験してなお、今年の春も満開の桜の下で母とおにぎりを頬張る。そんな時間を母と過ごしながら、私は心に清々しさを持ち合わせていることに、少しだけ安心しています。

やまなし介護劇場 第6幕
            母の退院後、はじめてのお出掛けで撮影した「天下泰平」の両親

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