ノンバイナリーの代名詞
バーテンダー・トーク

【カリフォルニアの隠れ家バー便り】
世界中からチャンスを求めて移住者がやってくる米カリフォルニア。人種の坩堝の中で生きる様々な人たちが、ふらりと訪れる小さなバーで働く日本人バーテンダーが、カウンター越しに耳にしたリアルなアメリカをつぶやきます。

ゲームの世界は安全地帯じゃなかった?

今日のお客様
子どもはおらず、二人で頻繁に外出や旅行を楽しんでいる30代の韓国系アメリカ人の夫婦。大谷翔平選手のエージェントのひとりもクライアントだったという某有名企業に勤めていたこともある奥様はファイナンシャルプランナー。旦那様は大手商社の営業職で趣味はオンラインゲーム。

 この日、馴染みのお客様から聞いたのは、オンラインゲームの最中に踏んでしまった「社会的な地雷」の話でした。

 それを話してくれたのは、月に2度ほど店に来てくださる韓国系アメリカ人の仲睦まじいご夫婦。お二人とも30代で子どもはおらず、まさに「ラブラブなDINKS」——と言いつつ、いくら私でも「ラブラブ」も「DINKS (double income, no kids)」も死語なのはわかります(笑)。でも、それを何と言い変えればよいかがわからず、時代遅れなままな私にとって、その話は「激しく進化する言葉」のアメリカ上級編のような内容でした。

 ゲームが趣味だという旦那様のジョンさん(仮名)が夢中になっているのは「マルチプレイヤーバトルフィールド系」と呼ばれるオンラインゲームで、テトリス時代しか知らない私にはよくわかりませんが、日本でソーシャルゲーム(ソシャゲー)と呼ばれる種類のゲームのようです。

 ジョンさんによると、オンラインゲームは誰でも気軽に参加できるので、ゲイマー仲間は老若男女、年齢もさまざま。実際、自分がどんな人とプレーしているかわからないので、「リアルな社会でのステータスや年齢、ジェンダー(性別)などが問われない、差別のない理想の仮想世界って感じかな」と以前は楽しそうに話していました。

 それが、その日はちょっと違いました。

「この前、ゲーム中に地雷を踏んじゃって、ちょっと複雑な気分なんだけど、話聞いてくれる?」

 彼が踏んだ「地雷」とは、何だったのでしょうか?

they/them、 xe/xemze/zimsie/hir って何?

 近年、アメリカでは「代名詞」が複雑化しています。「代名詞」とは英語の授業で習った「彼」、「彼女」、「それ」など主語を言い換えるときに使う、she(彼女)とか、he(彼)などのこと。

 以前と使い方が変わった理由は「性の多様化」。男か女のどちらかの性に分けるのではなく、分けてはいけない時代になってきたために(少なくともアメリカでは)、sheとher(彼女、彼女の)、heとhis(彼、彼の)を安易に使えない時代になったのです。それには、アメリカに25年以上も暮らしている私も少し戸惑っています。

 ノンバイナリー(見た目ではなく自己認識している性が男性でも女性でもない人)や、二元社会(男女の2つに分けること)に反対する人たちが、自らを表現する代名詞に使うべきといっているのは、複数の人を表すthey/them。もしくはxe/xem、ze/zim、sie/hir(カタカナ表記なら、ジー・ゼム、ジー・ジム、シー・ヒア)など、これまでの英語の辞書には掲載されていなかった新語です。

 ひとりでも、彼ら(they/them)を意味する代名詞を使わねばならないことに抵抗を感じる人も多い中、自ら「この代名詞を使ってね宣言」をして、周囲はそれを尊重することが求められる。つまりは、そう宣言された側が、個人が好む代名詞をそれぞれ覚えなければいけない———そこに、ある種の戸惑いはあっても、「その努力をしないといけない社会になった」と自分に言い聞かせるしかないのです。

ジェンダーニュートラルな単語とは

 そんな中、ジョンさんがオンラインゲーム中に経験した出来事は、単に代名詞を間違えたわけではなく、もう少しややこしい話でした。

 ある日、いつもゲームをするメンバーのひとりから「実は自分はノンバイナリーなので、これからはZE/ZEMを使って下さい」というリクエストがあり、メンバー全員が「オッケー!」と了解してゲームを始めたそうです。

 ゲームの中は、メンバー同士が誰かについて「あの人がどうこう……」と話すこともないため、淡々とゲームは進行していましたが、リーダーだったジョンさんがチーム全員に作戦を伝えるために「Hey guys! Listen!」(ねえ、みんな。聞いて)と呼びかけた途端、前述のノンバイナリーの方がヒステリックに怒りだしたと言うのです。それはそれは激しい怒りで、みんなびっくりしてゲームが中断したとか。

 英語で「ねえ、みんな!」と声をかける時「Hey guys!」はごく普通に使われる言い方で、グループの構成が女性であれ男性であれ全員ひっくるめて「guys」が使われます。でも、このZE(ジー。彼や彼女という代名詞は使えない)は、「あなたは私のアイデンティティを無視した」「あなたは無意識にひどい差別をしていることに気づいてない」と言って怒り続けたそうです。

 ジョンさんは「何気に発した言葉でこっぴどく怒られたから、瞬間的にしまった!と思ったんだけど、後で考えたら、 guysはO Kの範囲だと思うんだ」と言っていましたが、奥様は「もしguysの使用を間違ったとしても、謝ったのだからそれで済むはずなのに、他のメンバーの前でホモホビック(ホモ恐怖症)のレッテルを貼られたのよ、もし、このことがS N Sで拡散されたらどうなるの?」と、かなり心配している様子でした。

 ジョンさんはZE(ジー)に「これから気をつけます」とすぐに謝り、さらに「これからは何て言えばいいでしょうか?」と尋ねたところ、ZEは「Hey folks!」とか「Hey everyone!」など「ジェンダーニュートラルな単語」を使うようにと、みんなに指示したそうです。

今も男女の二択でいける、おおらかな日本

 このご夫婦は、LGBTQIA(これも覚えた方が良いですね)についての基礎知識もあり、どちらかというと理解もあり、差別はいけないと信じているそうですが、この事件以来、「もっともっと気をつけるようになった」とか。それなのにひどく怒られて落ち込んでいたジョンさんと奥様は、その日は少し強めのカクテル、ネグローニをゆっくり飲みながら、しみじみと言葉の難しさについて語っていました。

 私自身は、個人のジェンダー(性別)は尊重したいし、LGBTQ+(どんどん増えていくので、+をつける総称でもOKだそう)の知り合いも多いので、気持ち的には常に応援団でありたいと思っていますが、一般的に使われている代名詞のtheyを単数に使うことに少し抵抗があるので、「the person (あの人、この人)」を使っています。

 「ラブラブ」や「DINKS」がすっかり死語となったように、言葉が時代と共に進化するのが今始まったことではありませんが、最近のアメリカでは「ジェンダーに関する言葉」が特に急激に進化しているように感じます。しかも言語的なルールがはっきりしない曖昧な感じなのに圧だけはあるというか。これに慣れるのには少々時間がかかりそうです。 

 そういえば先日、次回の日本への里帰りのために全日空の航空券を予約する際、性別を選択する欄に男性と女性しかなく、温泉宿のネット予約の際も「男性何人、女性何人」と書く欄があって、「このご時世なのに強気だなあ」と驚かされました。海外旅行者に大人気の日本ですから、私と同じように驚く人も多いのではと思いますが、これから変わっていくのか、これが日本だと胸を張るのか、どちらになるのでしょうね。

今月のお酒:ネグローニ Negroni

カクテル ネグローニ 作り方レシピ


 イタリア生まれのカクテル。100年以上前にネグローニ伯爵のためにバーテンダーが作ったカクテルと言われています。3種類のお酒をミックスして作られるので、アルコール度は高め。氷を溶かしながら、ゆっくり飲んでください。強いお酒が苦手な方は、ジンを炭酸水に変えたアメリカーノというカクテルがおすすめです。お酒をグラスに順に注いでも作れるカクテルですが、ちょっと手間かけるとさらに美味しくなるのでぜひミックスグラスで作ってみてください。

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