「悔いのある人生を!」
介護って何だろう?

<やまなし介護劇場>
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。

感情的になったら介護なんてできない

 最近は介護の相談をされることも多くなりました。

 考えてみれば、私は比較的早く「介護」という世界に足を踏み入れたので、指折り数えてみたら、介護を始めてもう12年目……。そりゃ、堂に入っていますわな(笑)。

 私に相談して来られる方の多くが、親が親でなくなっていくことに戸惑っています。その過程でオロオロするのは当然。私だって、そうでした。だから、それは自然の摂理だと心得ていくことが大切なんだと思います。

 介護において、とにかく厄介なものは「感情的になること」。そう言っても過言ではありませんが、かくいう私も「わたしがどうしたいか」という基準で人生航路を漂っていた頃は、とかく自我に支配されていました。感情という厄介なもののコントロール下に置かれていたようにも思います。

 もちろん、いまだ「感情」は健在で、悟りの境地に辿り着けたわけではありませんが(笑)、母が倒れて12年(父が他界して4年)、私は「自我の解放」という境地へと向かいつつあります。それを世間では「大人になった」と言うのかもしれませんが(汗)、そこまでの道のりには様々な、ままならない「壁」があり、乗り越えても新たな壁が立ちふさがってきました。  

 その中のひとつが「180日の壁」でした。

180日の壁

 重篤な脳血管障害患者の多くは、身体機能を奪われます。元通りに動けるようになるまでリハビリ治療を受けたくても、保険が適用されるリハビリ治療を受けられるタイムリミットは180日まで(法改正で06年より制限が設けられた)。

 正直なところ、リハビリを重ねても思うように動くことができない母を、この先、自分で背負っていけるのか……。日を追うごとにリアルな問題として「180日の壁」がエベレストのごとく私に立ちはだかりました。

 そんな不安を抱えつつ、父とのお見舞いドライブは毎日続けていました。母はリハビリに積極的だったので、病院に許可をもらって私が付き添いながら、廊下の手すりに捕まりながら歩くリハビリもしていました。父はいつも応援するだけ(笑)でしたが、老老リハビリのリスクを考えると父に手伝わせるわけにもいかず、私の歩行介助はプロ並みに上達しました。

 しかし、保険が効くリハビリ期間が残り半分を過ぎた時、私は母の身体障害者申請をすることにしました。どうあがいても「食堂を切り盛りしていた頃の母に戻ることはない……」、これが限界だと感じたからです。

 そして夏が終わるころ、身体障害者手帳が届きました。その手帳には「1級障害者」と記載され、「左上肢 全廃」「左下肢 全廃」という障害名が印刷されていました。「全廃」という言葉の響きは、私の心に重くのしかかりました。

「なぜ、あんなに頑張っていた母がこんなことに?」
「帰省したとき、いつもより表情が乏しかったのでは?」
「なぜ、母の変化に気づけなかったのか?」

 なぜ?なぜ?と、心が後悔で埋まっていき、この先どうなっていくのだろうという漠然とした不安が頭をもたげていきました。目の前に立ちはだかる壁がどんなに高いか分からず、オロオロして……。

肩の力を抜いていこう

 私がこんなふうにどんよりしていた頃も、父は相変わらずでした。

 たとえば父は、こんな時でも母の入院する病院の窓から一面に広がるお茶畑を眺めながら、入院患者のおばあさんと「夏も近づく八十八夜~♪」と、ニコニコ合唱したりしていました(笑)。そんな父を横目で眺めながら「父とはシリアスなことを共有できない……」とつくづく実感しましたが、父の呑気で陽気な性格に救われもしました。なんか、肩の力が抜けるんですよね。父にイライラするか、ほっこりするかは、私の心に余裕があるかないかのバロメーターでもありました。

親子リハビリの様子。母を介助する私と、それを応援する父。

 

 そして本格的に秋を迎える頃には、私は母の介護申請をしたり、病院からの提案に沿って自宅での介護生活に向けての準備を進めていました。本当に目まぐるしい日々で、のしかかる現実への不安で私の心は少しずつささくれだっていきました。そんな私の心をほぐしたのも、父の一言でした。

 ある日のお見舞いドライブの途中で父の母校を通り過ぎた時、私は「父さん、後輩にエールを送ってあげたら?」と父をからかったのです。すると父はおもむろに車窓を開け、学校に向かって笑顔で「俺のようになるなよ~!」と言い放ちました(笑)。  私はそれを聞いて大笑いして、体の力が抜けました。「こんな父でも、それなりに人生に悔いがあるんだな」と思って、少しだけ何かを共有したような優しい気持ちになったことを覚えています。もう少し肩の力抜いていこう、と。

「悔いのある人生を!」

 そんなわけで「悔い」だらけの親子を自認した後、ある新進気鋭の劇作家が作った演劇のワンシーンが私の心に蘇りました。それは、年老いた男が天国に旅立つとき、客席に向けて言い放ったセリフ———

 「若者よ、悔いのある人生を!」

 私はそのシーンにただ痺れました。「なんか、カッコいい!!」と。悔いがあるから、戻れることもある。優しくなれることもある。悔いなんてないし自分が正しいっていうのは、それはそれで狂信的。どっかでポキンと折れそうな気がする。

 という自流の解釈を経て、私は悔いを恐れることなく目の前に立ちはだかる壁を登り始めていきました。父譲りの「ささらほうさらマインド」は、簡単には壊れない心のたわみです(たぶん)。


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