英語には「嫁姑」の概念が存在しない

小室圭さんと眞子さんの結婚に見る日本とアメリカ文化の違い

 こんにちは、ランサムはなです。このところ日本では、小室圭さんと眞子さまのご結婚が大ニュースとなっていましたね。今月(2021年11月)からはニューヨークで生活を始められているとか……。アメリカで新婚生活をスタートされるお二人の門出を、陰ながら心から祝福し、応援したいと思います。

 アメリカでも小室圭さんと眞子さまのご結婚報道を目にしたことはありますが、こちらでは、日本の報道のようにお二人の結婚に異議を唱える「ご意見番」的存在や、「けしからん」と言った感情的な意見を見聞きすることはほとんどありません。せいぜい「変化を迫られている保守的な日本の皇室」、「人口が縮小している皇室」と言った、ジャーナリスト的な客観的考察を見かける程度です。アメリカには皇室はありませんし、一般論として結婚はあくまでも個人の選択であり、本人同士の意思に委ねられる風潮が強いからだと思います。

 もちろんアメリカでも、「親が結婚相手を好ましく思わない」という事態が皆無というわけではありませんが、最終的な決断は本人同士に任せられる場合がほとんどであり、成人した大人同士の結婚に周囲が口を出すことではないという認識が一般的だと思います。

 今回の一連の報道を見て、日本は今でも「家」と「家」が結婚するという意識が強いのだなと実感させられました。

「家」同志の結婚だから「嫁」と「姑」の存在がある?

 日本は結婚を「家」単位で捉えているんだな、ということを強く感じた報道のひとつに、小室圭さんのお母様の借金が大問題になったことが挙げられます。著述家のサンドラ・ヘフェリンさんが「400万円は親の昔の恋愛沙汰がらみの話にすぎないのに、あたかも子供である小室圭さんに責任があるかのような報道が相次いだ」と書かれていましたが、成人同士の結婚に親の問題がここまで大きく取り上げられるのは、皇室と言う特別な事情以外にも、やはり「家」同志の結婚という見方が根強いからなのかなと思いました。

 もうひとつ興味深いと思ったのは、「嫁・姑バトル」の勃発を大前提とするような週刊誌の記事の見出しを多く見かけたことです。日本ではお嫁さんと姑さんは仲良くなれないものだ、という大前提が常識になっている、ということを強く感じました。

英語には「嫁姑」という概念が存在しない

 英語には日本のような「嫁」、「姑」という単語はありません。結婚式を迎える花嫁のことは「bride」(嫁)と言いますが、結婚式を終えた女性のことを「bride」と呼び続ける習慣はありません。結婚した女性は「wife」(妻)であり、子供が生まれれば「mother」(母)になります。

 結婚後も女性が「bride」と呼ばれ続けることがないだけでなく、結婚した女性にとって夫の母親は「姑」ではなく、「義母」(mother-in-law)です。直訳すると「法律上の母」となり、法律上の関係を説明しているに過ぎません。

 「姑」という単語がないだけでなく、義理の母に対してネガティブな先入観がないからか、アメリカの家庭では日本ほど嫁姑問題が「テンプレート化」していない印象を受けます。もちろん実際にはアメリカでも、義理のご両親との仲があまり良くないという女性もいるとは思いますが、一方で、結婚したことで実の娘のようにかわいがってくれる義理の両親を手に入れたという女性も少なくないと思います。

 「嫁」、「姑」という単語がない分、「こうあるべき」という期待や固定観念がないので、お互いが人として接することができるからではないかと思います。私の在米日本人の友人の中にも、アメリカ人の夫のご両親の近くに住んで、ときどきお子さんのベビーシッターをしてもらっている方がいますが、話を聞く限りでは特に軋轢もなく、うまくやっているようです。

 私の夫の両親もいつも私に、「うちの息子と一緒になってくれてありがとう」とか「We love you」などと言ってくれ、実の家族として迎え入れてくれます。日本にいる私の両親はアメリカ人の夫との国際結婚に大反対で、「認めない」の一点張りだったので、最初はこの対応の落差に驚かされました。私の両親は、夫の人柄よりも何よりも、「婿」という役割を期待しており、アメリカ人の夫は両親の期待には応えられないと判断されたのだなという印象を抱いたことを覚えています。

言葉がないと、概念も存在しない

 マーガレット・アトウッドというカナダの作家による、「エスキモー(イヌイット)には雪を表す言葉が52個ある」という話は有名ですが、私の出身地である北海道でも、雪は「べた雪」、「ぼたん雪」、「粉雪」など標準語で使われるよりも表現が多かったので、イヌイットがそれ以上の言葉で雪について言い表していたとしても不思議ではないと思います。

 特定の現象や概念を言い表す言葉ができると、それが当然の常識として頭に植え付けられ、「こうでなければいけない」という固定観念につながっていきます。それによって便利になることもありますが、逆に固定観念に縛られ、一定の角度からしか物事を見ることができなくなる危険もあります。

 「嫁」、「姑」の言葉と役割がある日本と、その言葉も概念もないアメリカ。もし私が日本ではなく、アメリカに生まれ育っていたら、私の結婚は両親に反対されなかったのでしょうか? 流血や惨事が紙面のトップに来る諸外国と違い、皇室の話題がそこまで白熱化する日本は、ある意味平和な国なのかなあと思いつつ、2つの国の狭間でいろいろと考えさせられた、小室夫妻の結婚報道でした。

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英語には「小姑」という表現もない

英語には「姑」に相当する表現がないと言いましたが、「小姑」に相当する表現もありません。「義理の姉・妹」は「sister-in-law」ですが、法律上の姉・妹であるという以外に、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。日本のように、弟夫婦にいちいち干渉してくる小うるさい姉、というような人もいません。
私が両親に反対されてまで国際結婚を選んだのは、そういう関係に耐えられなかったからかもしれません。

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