第11話「駅弁が食べられなかった日」

撮影中にかかってきた電話

 テレビの仕事を始めて約30年、「この仕事をしていると親の死に目にも会えない」という言葉を耳にすることがある。私も親が高齢になり、時々そんな状況を空想してみることはあった。もし、番組のオンエアが迫っている時に、親が急に倒れたりしたらどうなるんだろうと……。

 仕事中に親から電話がかかってくると、「何かあったか?!」とドキッとすることが度々ある。でも、実際にそのときの私は妙に落ち着いていた。

 それが起こったのは、NHK『やまと尼寺 精進日記』のロケで奈良県桜井市の山の上の尼寺で撮影をしていた時だった。最後のシーンの撮影を残し、携帯を見ると父から何度か着信が入っていた。父はよく電話をかけてくるけれど、続けて何度も着信があったことに「ただ事ではない」と直感でわかった。

 撮影の合間に父に電話を折り返すと、「母がくも膜下出血で病院に運ばれた」と聞かされた。ほとんど撮影は終わっていたが、どうしようかと頭の中で思いを巡らした。5月の端午の節句で、お寺には子どもたちと親御さんたちが集まっていて楽しい撮影だったので、スタッフだけに状況を伝えて、なんとか早めにシーンを撮り終えた。撮影のあとは必ず出演者とスタッフ全員で記念写真を撮るのが恒例なのだが、その写真を見ると、私の顔は心許なく無理して笑っているのがわかる。

 撮影が終わった時、ご住職たちに母のことを伝えたら、みんなが心配してくれて、私の実家の新潟市まで最も早く帰ることができるルートを調べてくれた。お寺は音羽山の山の上にあり、簡単には帰れない。スタッフを残し、私だけ軽自動車に乗って山を下り、最寄り駅まで送って貰った。

 近鉄電車と東海道新幹線で東京へ向かい、上越新幹線に乗り換えて新潟駅へ。そこからタクシーに乗って病院まで、たぶん7~8時間はかかっただろう。その道中のことはよく憶えていない。かなり遠い道のりだったけれど、その日は大好きな駅弁も食べられなかった。

父が作ってくれたお弁当

 病室の扉を開けてベッドの横に立つ父と妹を見た時、私はようやく現実を理解して泣き崩れた。妹から「手術をすればどうにかなるかも知れない」と説明され、淡い期待を抱いた。私が着いてから母は一度も目を開けなかったけれど、父が母に「ここに誰がいるかわかるか?」と尋ねた時、「志保」と私の名前を言う母の声を聞くことができた。母には私の声が届いていた。

 その日から、私は妹と交代で母のベッドの横に泊った。父は毎日、私と妹2人分のお弁当を作って病院に持って来てくれた。それを食べる時だけは、少し気持ちが和らいだ。

父が作ってくれたお弁当
病院で食べた父弁

 本当は母のそばにずっと付いていたいけれど、撮影した映像を番組に仕上げる編集作業がある。「なんとか私が戻って来るまで待っていてほしい」と思いながら病室を後にした。

 東京へ向かう新幹線で私が選んだ駅弁は、母が好きだった「新潟のタレカツ丼」。それを、「絶対大丈夫!」と自分に言い聞かせて食べた。

 なんとか編集作業をやり遂げて、再び母の病室に戻り、そこで私は番組の台本を書き上げた。その後のナレーション録音などは、別のディレクターに引き受けてもらった。そして、私は母の最期に立ち会うことができたのだ。

どんな人にも苦悩はある

 母が亡くなった後、尼寺から豆ろうそくやお線香が届いた。それまで家に仏壇もなかったので初めてのことばかりだったが、小さなろうそくは毎日灯すのにちょうどいいんだと教えて貰った。

 ご住職たちが修行されたのは高野山の真言宗。奇しくも父の家系は、高野山近くの出身で真言宗だった。ご住職から、私と父と妹へ3冊の経典を頂いた。母が生きていた時には初詣にも行かなかった父が、今では毎朝、母にお経を唱えるようになった。経典を一冊まるごと暗記してしまうくらいに……。

 尼寺にはいろんな人生を抱えた人たちがやって来る。私もそこに通うことで徐々に気持ちが癒されていった。ご縁があって『やまと尼寺 精進日記』という番組を担当したけれど、私にとっていつしか忘れられない番組になった。

 そんな経験をした後、私はご住職が自身の母について語る「神無月 料理自慢は母ゆずり」(2019年)という番組を作った。いつもはお寺のみんなで笑いながら美味しい精進料理を作る番組だが、どんな人にも人知れず抱える苦悩はある。少しだけ、そんな思いを番組に込めさせて頂いた。

 人生いろんなことがあっても、美味しいものを食べれば笑顔になる。美味しいものがあれば元気になる。そういうことだ。

今月の駅弁:政宗公御膳

 私が駅弁を選ぶ基準は、旬なものか、ご当地の特別感があるものが多い。今回ご紹介するのは、伊達政宗公生誕450年を記念して作られたお弁当。

 鮭の味噌漬焼、帆立のかぴたん漬、いか人参など、政宗公の縁の地にまつわる食材や献立が込められている。デザートには、チョコレート菓子とずんだ白玉団子。なんでチョコレート?と思ったけれど、お品書きを読むと、伊達氏の家臣・支倉常長(はせくら つねなが)が日本人として初めてチョコレートを食べた人らしい。こういう「お品書き」が入っている駅弁は嬉しい。

 お弁当の八角形は駅弁の掛紙にもあるように、政宗公が用いた「九曜紋」が盛り付けのモチーフだそうだ。

駅弁 政宗公御膳
「政宗公御膳」。デザートにはチョコレートが!

 以前買った駅弁の写真を見返して気づいたのだが、私は変則的な形の駅弁を選ぶことが多いようだ。ノーマルな四角いものより、ちょっと変わったものを好む、私の性格がここにも表れていた(苦笑)。

富山・源の駅弁「有磯海」

富山・源の駅弁「有磯海」 。こちらは六角形

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