「猫は九つの命をもつ」
イギリス人生パンク道

九州出身で英国在住歴23年、41歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと9年。果たしてそれは見つかるのか?!

ある日、突然あらわれたエルサ

 うちの愛猫エルサが亡くなった。そして、そのたった3時間後に我が家に新しい猫の赤ちゃんがやってきた。なんという縁だろう。

 今から8年前、私たち家族はロンドンのアパートの一階に住んでいた。ある日、庭に1匹の黒猫がトコトコと入ってきたので、撫でてみると首輪がない。きっとどこかの飼猫だと思い、その日はそのままドアを閉めたが、次の日もその猫がやってきた。

 お腹がすいているのかと思い、動物愛護団体に電話してアドバイスを乞うと、「誰かの飼い猫に餌付けをするのはよくない」と言われたので、ご飯はあげなかった。

 でも、3日目もその猫は戻ってきた。そのとき初めて、その猫のお腹が大きいことに気づいた。「もしかしたら妊娠しているかもしれない」。そう思って再び動物愛護団体に連絡し、連携サポートを依頼して一時預かりを申し出た。

 動物を飼ったことがなかった私たち家族は、命を預かることに緊張して必死に飼い主を探したが見つからなかった。そのとき何歳だったのか、それまでどんな人生を送っていたのか知る由はないが、私たちはこの猫を家に迎え入れることにした。

 人間へ警戒心のある猫だった。「エルサ」———あとに不登校になった長男がこの名前をつけた。うちに来てから2週間後、エルサは5匹の可愛い赤ちゃんを出産した。ありがたいことに赤ちゃんたちは皆、素晴らしい家族のもとへ巣立っていった。

猫には不思議な能力がある

エルサ

 エルサが家にやって来た年、すでに長男の心は少し不安定になっていたが、エルサが彼の心のオアシスとなった。猫にはそういう不思議な能力があるのかもしれない。私たちが不安を感じたり、悩んだりしていると、近くに寄ってきてくれる。まるで見守るように。そんなエルサの見守りが顕著になったのは、コロナ禍で長男が鬱になり学校に行けなくなってからだ。暗闇の中に落ちていくばかりのあの時期の長男に一番寄り添えたのは、私でも旦那でもなくエルサだった。

 その頃、私自身も暗闇をさまよっていた。精神的にも元気な方だと信じていた私だったが、この世から消えてしまいたいと思った瞬間があった。限界を感じてセラピーに初めて登録の電話をかけた夜、泣きじゃくって電話口でまっすぐ話せなくなった私を、エルサが優しく見守ってくれていたのを思い出す。わかってるよ、と言わんばかりの絶妙な距離感で私を見守ってくれていた。

「猫は九つの命をもつ」

 エルサは幾度か病気になり、やせ細ったり歩行困難になったことがある。でもその都度、奇跡的な回復を見せた。数日帰ってこないこともあって私達を心配させたが、毎回ひょっこりと何もなかったように戻ってきた。イギリスでは猫は“9 lives”つまり「猫は九つの命をもつ」とよく言われる。だから、エルサは九つの命を持つ、妖精のような生き物だなぁと思っていた。

 でも今回は違った。エルサが数日ご飯を食べなくなって獣医に連れていくと、腎不全でもう先が長くないと突然の余命宣告を受けた。その瞬間は茫然として、実感のないまま獣医の説明を受けていたが、駐車場に戻る途中で私は泣き崩れた。エルサの命は今回が九つ目なのか?

 延命をサポートする薬とほんの少しの御飯をシリンジを通してエルサの口へ運ぶ。口をこじ開けるとエルサは嫌がり「もうそっとしておいてほしい」と言わんばかりにソファーの下にもぐると出てこなくなった。その様子を見て家族で話し合い、エルサの尊厳を第一に考えて、見守るサポートに切り替える決断をした。

 そのとき、悲しみで何も手に付かない状態だった長男が「エルサが旅立った後、もう一度、保護猫を家族に迎え入れたい。自分がすべて面倒をみる」と言い出した。彼の本気度を受け入れた私たちは地域の保護猫レスキューセンターのウェブサイトに登録した(通常登録後実際に保護猫を迎え入れるまでには半年ほどかかる)。彼が自発的に動いたことをなによりも尊重したかった。

エルサが我が家にくれたもの

 別れは突然訪れた。余命3週間と言われた4日後、私の出張中にエルサはこの世を去った。苦しむ姿を見せず、家族が部屋を空けた瞬間に眠るように旅立っていった、と家族から電話で告げられた。そして「信じられないと思うが、たった今、保護猫レスキューセンターから、赤ちゃん猫の里親を探していると連絡があった」とも。

 登録から何日もたたないうちに、まさかそんな連絡がくるとは予想していなかったし、今日はエルサが亡くなった日だ。「これはエルサからの最後のメッセージなのかもしれない」。その想いは家族全員一致した。すぐに旦那と子どもたちがレスキューセンターへ行って審査と面接を受け、その保護猫をうちに連れて帰ってきた。

 長男はその保護猫をポコと名付け、自分の部屋で一生懸命、ポコの世話をやいている。自分の命を考えることでいっぱいいっぱいだった彼が、今は新しい命に責任を持って育てているなんて、当時の私には考えられないことだ。

 ポコの愛らしさに癒されて、エルサを失った我が家にも少しずつ笑顔が戻ってきた。私はこれは、全てエルサがプランしてくれたと思っている。

 エルサは私たちのもとにやって来た時も去る時も、この世で一番カッコよかった。

 エルサの九つ目の命は私たちの中に宿り、これからも私たちがしっかり生きていけるようにずっと見守ってくれるはずだ。

数日前に我が家にやってきたポコ
エルサを想いながら作った刺繍
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