太郎くんの乳児院を訪ねて

私が知らない太郎くんの話を聞く

 太郎くんは5歳で我が家に来るまで、生活の場は乳児院と児童養護施設でした。太郎くんが我が家に来て以来、大小さまざまなチャレンジに直面しましたが、その度に児童相談所や児童養護施設に相談し、継続してサポートしていただきました。この温かいサポートなしには、ここまでやってこられなかったと思います。

 そんなある日、児童養護施設で太郎くんの養育を担当していた職員の田中さんからお電話がありました。

 「ももさん、太郎くんが生活していた乳児院を訪問してみたいですか?」

 そう聞かれて、もちろん見てみたいと思いました。里親研修の際に乳児院に行ったことはありますが(第3話参照)、太郎くんが2年間ほど生活していた乳児院には行ったことがなかったからです。

 さらに田中さんは、「実は乳児院で太郎くんの養育を担当していた複数の職員さんのうち、既に退職された佐野さんという方が、太郎くんのことをずっと気にかけていているんです。直接会って話をしてみてはどうでしょう?」と、提案してくれました。私たちが知らない太郎くんを知っていて、今でもとても気にかけてくれている元職員さん——。「私たちも是非お会いしたいです」と、ふたつ返事でお答えしました。

職員たちから聞く当時の話

 乳児院を訪問する日がやってきました。太郎くんが乳児だった頃を想像しながら、「どんなところで育ったのだろう?」とワクワクしていました。

 到着すると複数の職員が出迎えてくださり、すぐに建物内を案内してくれました。職員による「ここは〇〇をする場所です」という説明を聞きながら、太郎くんが暮らしていた光景を目に焼き付けたくて集中したり、いろいろ気になってキョロキョロしたり……。私たち夫婦が訪問した日も、その乳児院で暮らしている乳児たちがいたので、「この子たちはおうちに帰る見込みがあるのかな?」と少し複雑な気持ちになったことも覚えています。

 その後、私と夫は事務所に通され、そこで太郎くんの乳児院時代を知る職員たちから当時の話をたっぷり聞かせていただきました。

 例えば、当時から太郎くんは「食べること」には、ほとんど興味を見せなかったそうです。食べない太郎くんに少しでも食べてもらえるように、食事の数時間前から職員が太郎くんの背中をさすって気持ちを落ち着かせたり、何とかして日々の食事がスムーズにいくよう様々な工夫をしたそうです。しかし、それがうまくいくことはほとんどなく、食器や食べ物を投げたり、少し大きくなってからは椅子やテーブルを投げることもあったとか。

 実は、我が家に来てからも太郎くんは食事が苦手で、当初は汁物や麺類、さらには水を飲むことさえ嫌だという時期もありました。そのため、我が家では太郎くんが食事の時間を苦痛に感じないよう、「1日3食」にはこだわらず、「お腹が空いた時に食べる」ことにしたり、私が何か食べる際にはいつも笑顔で「美味しい~!」と言いながら食べるようにして、「食事の時間はポジティブな時間」というイメージを持ってもらえるよう工夫しました(太郎くんは16歳になった今でも食が細く、体が細いことは気になります)。

 複数の職員たちから太郎くんの話を聞けたことで、私が気になっている太郎くんの行動の解決に繋がりそうなヒントをいただいたり、それまで知らなかった2年間のほとんどを知ることができた気になるほど、とても有意義な時間となりました。

乳児院で太郎くんを担当した元職員と会って

 そして、乳児院での太郎くんの養育の担当者で、退職された佐野さんにお会いすることもできました。

 佐野さんとお会いした途端に「特別養子縁組をすることを前提に太郎くんを迎え入れたこと」に対するお礼を言われました。佐野さんのご家族は特別養子縁組を迎えられる状況ではなかったため、誰かが太郎くんと縁あって家庭に迎えてくれることを常に願っていたそうです。

 佐野さんから聞く太郎くんの話は、私たちはそれまでに聞いたことのない話ばかりでした。それを終始、涙を流しながら語ってくれました。

 太郎くんは実母さんにとっては望まない妊娠で、産んだものの育てる気持ちはなかったため、血縁者の面会も一切なかったそうです。乳児院にいる子どもたちは乳児ですから、自分から誰かを訪問することは出来ず、家族が面会に来ない限り誰とも会うことが出来ません。施設では、頻繁に面会がある子どもたちがほとんどだったので、佐野さんは面会がまったくない太郎くんが不憫だったそうです。

 また、太郎くんは言葉で自分の気持ちを表現することが得意ではなく、何か気に入らないことがあると物を投げたり、ときには椅子など大きな物を投げてしまうこともあったので、佐野さんは「家庭が与えられれば心が安定して行動も落ち着くのではないか」と考えていたそうです。

 太郎くんは様々な事情により「家庭復帰する見込みがほぼない」というカテゴリーに入る子どもでした。そのため、年末年始やゴールデンウイーク等の長期休みになると、佐野さんが自宅へ太郎くんを連れて行ったり、自分の家族と共に太郎くんを連れて旅行へ行ったりしたそうです。

 私たち夫婦は夫がアメリカ人なので、佐野さんは私たちならば、日本の「枠」を越えた子育てができ、きっと太郎くんにとってもプラスになるはずだから「お二人で本当に良かった」と喜んでくれました。その夜は布団に入ってからも、佐野さんが太郎くんを想う気持ちや、家庭復帰の見込みのない子どもたちのこと等、いろんなことが頭の中を駆け巡り、なかなか寝付けませんでした。

 この出会いを機に、我が家は佐野さんとご家族と定期的に交流を続け、太郎くんの成長を共有しています。

 余談ですが、乳児院や児童養護施設では物を投げていた太郎くんですが、我が家に来てからは、そのような行動は一度も見られなくなりました。その理由として考えられることは、たぶん太郎くんが何か言おうとしているときは即さず待って、しっかり耳を傾けるように心がけているからではないかと思います。もしも完全な文章になっていない場合には、私や夫が予想できることを文章にして「こういうことが言いたかったのかな?」と、文章を口に出して確認を取りながら、言葉の練習も兼ねた会話をするようにしました。これだけのことで物を投げなくなったので、物を投げるのは言いたいことが伝わらない苛立ちからだったのだろうと思います。

 我が家の特別養子縁組ものがたりはまだまだ続きます。お楽しみに!

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