米映画界でヘアメイク 松本安芸子さん

ハリウッド映画やミュージックビデオ撮影の楽屋を支える

 アメリカ・ロサンゼルスを拠点に、ハリウッド映画界で活躍するヘアメイクアップ・アーティスト、松本安芸子さん。日本では今年後半に公開予定のウィル・スミス主演の映画『キング・リチャード』や今夏公開予定のラブロン・ジェームス主演の映画『スペース・ジャム2』、ブラッド・ピット主演のSFスリラー映画『アド・アストラ』(2019年)など数々のハリウッド映画や、ジャスティン・ティンバーレイクの大ヒット曲『Can't Stop the Feeling』のミュージックビデオ(2016年)などにヘア・メイクアップ・アーティストとして制作に参加されています。

 2017年にはカンヌ国際映画祭の批評家週間で上映された日米合作映画、寺島しのぶ主演の『Oh Lucy!』を担当し、カンヌへも同行されたグローバルなアーティストでありながら、素顔は竹を割ったような性格で(笑)、自宅でパンを焼くのが趣味という気取らない松本さん。ここに至るまでの道のりや、過酷な現場でも笑顔を絶やさない秘訣などについて、お話を伺いました。

英語ができなくても飛び込んだアメリカ

 日本では美容師の経験を経て、演劇やミュージカルなどのヘアメイク業務を行うエージェンシーに勤務していた松本さん。まだ20歳だった新人の時に大物女優さんの担当になり、それを継続して学んだ多くのことが、アメリカで働いている今でも役立っているそうです。

 「美容師になったのは、技術があれば学業なしでもいけると思ったから(笑)。でも、技術だけでは続けていけない業界でもあります。若い時にベテラン女優さんのヘアメイクを担当させて頂いたことで、またとない経験を得ることができました。担当させていただく相手がどんなに大物でも、怯むことなく自分の仕事に集中できる度胸がついたのは、日本で経験したことのおかげだと思っています」

 当時の仕事は毎日充実していたのに、なぜハリウッドを目指したのでしょうか?「特殊メイクをやってみたくなったんです。社内にも特殊メイク部署はあったのですが、その移動が簡単にできない状況だったので、それなら特殊メイクを勉強しに、ちょっとハリウッドに行ってみようかと思って(笑)。それで何の計画もなく、ハリウッドに行くために渡米しました」

 半年くらいアメリカで勉強してみようという軽い気持ちで、英語がまったく話せないままに渡米したのは1990年。「でも、実際にアメリカに来てみたら、誰とも話せないじゃないですか(笑)? なので、まずは語学学校へ行きました。でも、このまま語学学校にいても仕方がないと思って、メイクの学校へ入ったんです。とにかく、そこでコネクションを作ろうと思って。その頃いろんなところでお手伝いさせて頂くうちに知り合った方の紹介がきっかけで、日本のコマーシャル撮影の仕事のアシスタントをさせて頂けるようになりました。それをやりながら学生映画の作品に参加したり。当時はどんな職種のヘアメイクがやりたいのか、自分でもよくわかっていなかったんだと思います。悩みながら無我夢中で進んでいたんですね」。

 そんなときに、あるアメリカ人のプロデューサーから映画の仕事で声が掛かり、映画の仕事をすることになった松本さん。「でも、英語ができないから台本も読めないし、ヘアメイクはできるけれど、何の映画なのかもよくわかっていない感じでした(爆)。作品を完璧に理解できずに仕事をするなんて、今では考えられないですよね(笑)。でも、どういう訳かそのプロデューサーが私のことを気に入ってくれて、いろんな人を紹介してくれたんです。そこから、どんどん映画の仕事が入ってくるようになりました」。

「来たな〜、ハリウッド!」と「私の腕は2本しかないんです!」

 今でも印象に残っている風景は、生まれて初めてユニバーサル・スタジオで撮影をしたときのこと。

「おー、来たなー、ハリウッド!と、思いましたね(笑)。テレビでしか見たことないロケ地に自分が今、立っているという、あの感覚は今でもはっきりと覚えています」

 そんなハリウッドの映画製作には、長期間にわたり出演者やエキストラ、技術や制作スタッフなど驚くほど大勢の人が参加します。長時間拘束でストレス・レベルも高い現場での仕事のポジションに松本さんの指名がかかり続ける理由を問うと、こう返ってきました。

 「たぶん文句を言わなかったからかもしれない、英語ができなかったから(爆)。とにかく最初はもう片っ端からこなしていく勢いで仕事を続けました。その中でも、日本人特有の絶対に遅刻はしないとか、予算は死守するなど、自分にできることはひたすら続けましたね。メイク以外、他に見せるものがないわけですから、せめて真面目にやっている姿勢を見せようと(笑)。それに関しては今でもしっかりやっています。もうひとつ大事にしていることは、仕事はいつも楽しくやろうと心がけています。現場では人と一緒にいる時間がとても長いですから。まるで家族になってしまうほど(笑)」

 その意識から、いつも笑顔を絶やさない努力をされている松本さんですが、一度だけ撮影現場で怒ったことがあるそうです。

 「あるとき、次から次へとあまりにも大勢の人にヘアメイクを短時間でしなければならない状況になったことがあったんです。さすがにそのときは怒って、英語で“私の手は2本しかありません!”と紙に書いて、製作陣全員のトレーラー(注:楽屋として使用される大型個室車両)に貼りましたね(笑)。」

出番を控えたいろんな役者さんに楽屋でメイクをする松本安芸子さん。仕事中の真剣な表情が素敵!

様々な人種に合わせた、それぞれのヘアメイク

 その2本の腕を使い、アメリカで25年以上も大勢の役者さんやモデルさんを支えてきた松本さんに、アメリカならではの仕事の苦労を尋ねると、意外にもこんな答えが返ってきました。

 「仕事を始めた当初に英語ができなかったこと以外、苦労なんてないですよ。アメリカの職場環境はユニオン(プロのための労働組合)のおかげで私たちの拘束時間やお給料は、日本に比べて断然いいので、むしろかなり甘やかされていると思います(笑)。しかも自分の好きな仕事でごはんを食べられているって、すごく幸せなこと。だから作品が1本終わると、また次って思いますね、難題を乗り越えたときは特に」。

 仕事において、アメリカならではのことがあるとすれば、「アメリカは白人、黒人、スパニッシュ、アジア系、アラブ系、インド系と様々な人種が集まる国なので、映画の出演者も多種多様。それぞれの人種にはそれぞれの皮膚タイプや肌の色、文化に合わせたヘアやメイクがありますから、そういうことをちゃんと勉強して視野を広げ、その技術を身につけられたのはプラスだと思います。一見すると派手に見える業界ですが、実際の仕事は肉体労働者です(笑)。朝まだ暗いうちに家を出て、メイクそのもので汚れるだけでなく、撮影場所によっては砂埃の中や雨が降っている中で暗くなるまで働くので、長時間労働に耐えられて、どんな天候でも大丈夫と元気で明るく振る舞える人でないと厳しいかもです」と、松本さん。

 業界内の口コミによる紹介によってハリウッドでの仕事は途絶えることなく今に至り、アメリカで関わった作品数は映画だけでも70本超。心から尊敬できるヘアメイク・アーティストの先輩をはじめ、仕事仲間にも恵まれ、充実したアメリカ生活を送っているものの、リタイアする年齢まで仕事をまっとうしたら日本に帰りたいそうです。しかも、その理由のひとつは「おにぎりが食べたいから」(笑)。ハリウッドの撮影現場で出るケータリングの食事はハンバーガーやフライドチキン、フレンチフライなど油こってり、どっしりのアメリカ料理のオンパレード。それが毎日続く生活をするのは「年齢を重ねたら間違いなく、今よりもっと厳しいだろうから。できれば車の運転もしたくないですし(笑)」。人それぞれとは、本当によく言ったものですね。

 最後に、松本さんにとって「ヘアメイクとは何ですか?」と尋ねてみました。

「メイクは表面的なものだと思われがちだけれど、できれば内面から変えられたらと願っているので、セラピストのようになってしまうのかも知れません。外見が変わることで、人の気持ちは変わります。メイクによって、俳優さん方が演技をする上での原動力の一部になればありがたいなと思っています」。

松本安芸子さんプロフィール

 日本で美容学校を卒業後、美容師に。東宝、松竹、劇団四季などによるミュージカル『オペラ座の怪人』、『マイフェアレディー』、『ゴールデンボーイ』、『オズの魔法使い』などをはじめ、ヘアメイクの仕事を手掛けた後、1990年に渡米。ロサンゼルスを拠点にフリーランスのヘアーメイクアップ・アーティストとして映画、TV、コマーシャル、ミュージックビデオなど様々な現場で活躍。メイクアップ組合(Local706)に所属。

 インディー映画も含め、これまでに70作品以上に参加している(作品リストはIMDB参照)。代表的な作品は『Space Jam』 (主演:レブロン・ジェームス )、『King Richard』(主演:ウィル・スミス)、『Oh Lucy!』(主演:寺島しのぶ)、『Ad Astra』(主演:ブラッド・ピット)、『Can't Stop the Feeling』(主演:ジャスティン・ティンバーレイク)など。

IMDB(インターネット・ムービー・データベース)
https://www.imdb.com/name/nm0559505/?ref_=nv_sr_srsg_0

公式サイト akikoface.com 

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