ボランティアに見る、日本とアメリカの違い

ボランティアって誰のため?

 こんにちは、ランサムはなです。4月になり、私が住んでいる米テキサス州もだいぶ暖かくなってきました。日本のように満開の桜を見て春の訪れを喜ぶような習慣はありませんが、アメリカには春を実感する行事としてイースター(復活祭)があります。

 先週、ちょうどイースターの週末に、たまたま近くの公園にウォーキングに出かけたところ、公園の屋外ステージで、「Bible Days」という催しが開催されていました。ボランティアの教会員の方が大勢、実に生き生きと楽しそうにチラシを配り、「牧師先生のお話を聞いて一緒に聖歌を歌い、イエスキリストの復活を祝いませんか?」と道行く人に声をかけていました。私はすぐに仕事に戻らねばならなかったので最初は断ろうと思ったのですが、あまりにも教会員の方々が楽しそうだったので、ベンチに座ってお説教を聞くことにしました。教会の聖歌隊と一緒に聖歌を歌い、牧師先生の説教を聞き、ボランティアの方々が着ていた特製ロゴ入りTシャツをお土産に頂いて、何だかとっても得をしたような、ありがたく温かい気持ちで帰宅しました。

 アメリカではこのように「ボランティア活動」をしている人たちをよく見かけます。ボランティア活動と一口に言っても、公園のゴミ拾いや草取りなどのコミュニティ活動から、英語が不自由な外国人・移民の方々をサポートする医療通訳、目の不自由な人のための点字翻訳ボランティアなど、高度なスキルが求められるものまで実に様々です。

 また、アメリカには日本の町内会に相当するような体制はありませんが、日本の町内会が行っているような活動を、アメリカではボランティアの人たちが、特に誰に頼まれたわけでもないのに自発的に行っています。こういうボランティアには、日本の町内会などにつきまといがちな義務感があまり感じられず、参加者のほとんどが楽しそうに活動に従事しているのが印象的です。

ボランティアは自分には関係ないと思ってい

 白状しますと、私自身は実は数年前までボランティアには全く縁も興味もない人間でした。日本で暮らしていたときに私が思い描いていた「ボランティア」とは、何だかちょっと偽善的で、よく言えば聖人君主、悪く言えばお節介の人が慈善活動に勤しむイメージでした。なので、「自分はそんな心が清らかな善人ではないし、正直自分のことで精一杯だし、人のお役に立てると考えることすらおこがましい」と思っていました。ボランティアとは定年退職した方など、十分に時間とゆとりのある方が余暇を充実させるためにやっていることで、忙しい自分はそこまで手が回らないと思い込んでいたのです。

 そんな意識しかなかったので、アメリカに長年住んでいても、ボランティアにいそいそと出かけていくアメリカ人の友人が不思議でたまらず、その動機がどこから来るのかも全くわかりませんでした。

たまたま参加したボランティアで意識が変わった

 その意識が根底から変わったのは、数年前にアメリカの企業で会社員をしていた時にボランティア体験をしたことがきっかけです。私が在籍していた企業では、見本市を兼ねた大掛かりなコンファレンスを定期的に開催しており、イベント開催期間中は社員がボランティアで受付やバッジのスキャン係、交通整理、会場案内係などを務めていました。好奇心の強い私は、ランチがもらえるという卑しい動機で(笑)、このボランティアに参加しました。その時に任されたのはバッジのスキャン係でしたが、この体験はいろいろなことに気づくきっかけとなりました。

 まず、「自分の日常とは全く異なる体験をする」というのは、予想以上に新鮮で楽しい経験でした。スキャナを手に来客のバッジをスキャンすること自体は単純な作業ですが、これまで自分がやったことのない仕事をしていると、身分も境遇も違う別な人の人生を「1日だけお試しで垣間見させてもらっている」ようで、好奇心が満たされました。たとえば、「主催者側から見ると、お客さんはこう見えるんだな」、「この仕事を通して1週間で一体、何人くらいの人と会うのかな?」などと別の人の人生に思いを巡らせていると、普段は翻訳というひとりで作業する仕事をしている自分の人生が、社会と繋がりはじめた実感がありました。

 期間限定で新しい体験をして、時間が来たら元の生活に戻るというのは、なんだかシンデレラのお話のような不思議な感覚でワクワクしました。お金をいただいていないこともあって、少しくらい失敗してもお咎めなし。自分の日常とは全く異なる非日常の体験がリスクなしでできて、しかもそれが他の人のお役に立って喜んでもらえるなんて、良いことづくめです。

 ボランティアに参加している人たちは、そもそも善良な人たちで、他人に親切にしたいという想いも強いかもしれませんが、ボランティア活動をすると貴重な体験を得ることができ、普段の生活では絶対に会わないような人たちとも出会えて視野も広がります(なかには、ボランティア活動を通じて再婚相手を見つけた友人もいます)。「偽善的」とか、「自分は聖人君主じゃないし」的な先入観に縛られていた私でしたが、この経験を通じて「みんなが楽しそうにボランティアに参加している理由」に気づかされ、目から鱗でした。

 「情けは人のためならず」と言いますが、まさにボランティア活動は人のためではなく、自分がいろいろな経験を積むための活動です。どうしてアメリカにはボランティアやインターンなどの制度が幅広く普及しているのか、なぜ町内会のような組織や決まりごとがなくてもコミュニティが機能しているのかが、初めて理解できました。

日本でボランティアが流行らない理由

 日本では、アメリカに比べてボランティアがあまり浸透していないようですが、どうしてなのでしょうか。

 いろいろ考えてみましたが、ひとつには何かをやってみたいという気持ちや自主性を重んじる雰囲気がアメリカと比べて希薄なことが挙げられるのではと思います。このコラムの第一話でも書きましたが、アメリカに来て間もない頃、繰り返しこちらの人に言われた言葉が、「What would you like to do?(あなたは何をしたいのか)」と「You don’t have to do it if you don’t want to(やりたくないならやらなくてよろしい)」でした。

 「気が進まないことを嫌々やるぐらいなら、やらない方が良い」という考え方は、常に「自分は何をしなければいけないのか」を考える習慣があった私には新鮮でした。「何をしたいかを考えること」が習慣化されていると、自然とそれを実践できる機会を探すようになります。

 もうひとつの理由として考えられるのは、日本には「やりたいことがあっても、人と違うことをして目立つことが嫌で、一歩を踏み出せない人」がいるかもしれないことです。せっかく挑戦してみたいと思うことがあっても、周囲の目が気になって自分にブレーキをかけることがあるとしたら、とてももったいない気がします。

 純粋に興味があってやってみたいと思うことを、周囲に気兼ねなく試す場所があって、それが結果的に世の中の役にも立つ……そんなボランティア制度が日本にも普及したら、「義理」や「しがらみ」の概念が薄れ、コミュニティももっと活性化するのではないでしょうか。自発的に行動できる日本人は、実はたくさんいるのだと思います。

ランサムはなのワンポイント英語レッスン

英語の「Volunteer」は「自由意志」という要素が重要

英語の「Volunteer」を英英辞典で引いてみると、「a person who does something, especially helping other people, willingly and without being forced or paid to do it」とあります。つまり重要なのは、「自ら進んで、自発的に、自由意志で、外から強制されることなく、支払いを受けることもなく」という要素です。英語では軍隊の志願兵なども「ボランティア」と呼ばれます。日本語では「無料奉仕のお手伝い」とか「任意」などと解釈されることが多いですが、このような背景知識があると英米文化に対する理解が一層深まると思います。

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