世界で一番大切な人を、看取るということ

愛する人と添い遂げて、見送って、そして……

 長年、舞台やドラマで活躍されている女優、山村美智さん。舞台では演じるだけでなく、脚本や演出も手掛け、ニューヨークのオフブロードウェイでもオリジナル作品を上演した経験も持つ実力派です。そんな山村さんは、元フジテレビのアナウンサー。GWG世代なら、1980年代に放送されていたお笑いバラエティ番組「オレたちひょうきん族」の「初代ひょうきんアナウンサー」だった姿を思い出す方も多いかもしれません。

 フジテレビの敏腕プロデューサー宅間秋史氏と社内結婚され、「おしどり夫婦」としても知られたお二人でしたが、宅間氏が食道がんを患って昨年末に他界。仕事でも支えあった同志であり、最愛の夫を失った悲しみを抱えたまま、36年半の結婚生活に向き合って自らの想いを綴り書き上げた『7秒間のハグ』。

 愛する人と添い遂げるということ、見送るということ、そして愛する人の想い出とともに生きていくという「愛」にフォーカスを当てて、山村美智さんにお話を伺いました。

“女子アナ”の先駆けから女優へ

質問:長年、女優として活躍されていらっしゃいますが、1980年にフジテレビに入社されたときは、アナウンサーをされていました。それまでのアナウンサーの枠を超え、会社員でありながらタレントのように仕事をされていた頃は大変な忙しさだったでしょうね?

 はい、毎日忙しかったですが、「働かせてもらって、ありがたい」と思っていました。当時はアナウンサーにスタイリストさんなんて付いていませんし、日々の衣装の手配とか広報対応的なこと、先輩方の湯のみを毎日洗ったりと、アナウンサーという仕事以外の仕事も多かったのでクタクタになりましたけれど、報道からバラエティまでいろんな仕事をさせてもらえて良かったです。

質問:テレビ局を退職して、女優の道を歩もうと決心した理由は何ですか? 

 ひとつはアナウンサーとしての達成感があったことですね。仕事の一環でドラマに出ることもありましたが、やっぱり演じることが一番好きだったし、フジテレビ入社前は女優をしていたので、自分が好きなことをしたいと思ったからです。

山村美智プロフィール写真1
Photo by Daisuke Omori

質問:女優という仕事を続けていて良かったと思うのは、どんな時ですか?

 女優という仕事は、いろんな経験をしていた方が生かされることが多いですから、たとえば嫌なことを経験したとしても、それを仕事に生かせる。だから、幸せなことも不幸せなことも全て栄養にできる仕事なんです。プラスもマイナスもない、すべてがプラスになる仕事だと思えることですね。

 でも夫を亡くしたときだけは、これほどの悲しみや苦しみや号泣や絶望を演技に生かしてやろうとは全く思えなかった……。私も一緒に消えてしまいたい、これから一人でなんて生きていけないという張り裂けそうな気持ちで打ちひしがれました。

最愛の夫を10カ月前に亡くして……

質問:36年間半も連れ添った夫を昨年末、食道がんで亡くされてから、毎日とても辛い日々を過ごしていらっしゃると思います。そんな中で、夫婦で過ごした日々を振り返る執筆作業は苦しかったでしょうが、今、これを書こうと思ったのはなぜですか?

 本を書いたらどうかと周囲から勧められたときは、とてもそんな気持ちにはなれないと思いました。でも、闘病中の夫に「こんなに苦しい思いをするのは映画を作るためなのだから、がんばろう」と言っていたのに、それが実現できずに亡くなってしまった——だから、彼が病気で死んだことに「意味」をつけたかったんですね。

 それに、「夫が生きていた証」を残したかった。だからライターさんに文章を書いてもらうのではなく、すべて自分で書きました。ただ、このような私的な話を多くの人に読んでもらうためには、ひとつの物語として成立させなければいけないし、それには綺麗ごとだけを並べても何も伝わらない。「血を流さないと書けない」と編集者に言われたんです。だから、本当は書きたくないようなことや、人に知られたら恥ずかしいようなことも嘘をつかずに、すべて書きました。闘病記なんて興味がないという方にも読んでもらいたかったから。

質問:著書の題名でもある「7秒間のハグ」を、日々の生活に取り入れた背景を教えてください。

 ハグは結婚した当初から「毎日する」と決めて続けていました。夫は入退院を繰り返しましたが、入院した最初の頃、彼が「7秒間ハグすると絆が深まるんだって」と言うので、「あら、そうなの? じゃあ、そうしよっか」という感じで、それからは毎日7秒間のハグを続けました。

 ハグをすると、オキシトシンという幸せホルモンが出るそうですが、日本ではなかなか夫婦で毎日ハグをする方はいらっしゃらない。私は1秒、つまり「イチハグ」でもいいから、して欲しいなと思うんですよね。1日1ハグから初めて、翌日は2秒、その翌日は3秒、1週間続けたら7秒になりますから(笑)。私はもう、毎日ハグをする相手がいなくなってしまったけれど、相手がいる方はぜひやってほしいです。

質問:本当に仲が良かったご夫婦だった様子が、ページの端々から伺われます。結婚して良かったと思われることは数え切れないほど多くあると思いますが、あえて3つだけ選ぶとしたら、それはどんなことですか?

 最後の味方がいる、ってこと。そして、楽しいことも辛いことも分かち合えること。

 辛いことも分かち合えるということで言うと、彼が亡くなって最初に一人が辛かったのは、地震が起きた時でした。地震が起きても無事を確認する相手がいない。電話する相手がいない。「ああ、私はひとりなんだ」と実感しましたね……。

 結婚してよかったことの3つ目は、自分の一番愚かな部分やボロボロの部分も愛おしんでくれる相手がいる、ということ。他人が賞賛してくれるときというのは、私の良い部分に対してですが、夫は私のダメなところや失敗した時なども、「ドンマイ、ドンマイ」と言って励ましてくれたり、一緒に笑い飛ばしてくれました。夫婦って、そうやって相手に欠けている部分で繋がるものなんだろうな、と思いますね。

質問:お二人は仲の良い夫婦であるだけでなく、まるで同志や親友、兄妹というような深い絆があったように感じました。それには、お子さんがいないことも影響していると思われますか?

 それはあると思いますね。子どもがいたら、たとえば子どもの育て方や学校選びなど、夫婦の意見を統一させなければいけませんが、私たちは子どもがいなかったので、夫婦の意見が違っても、それを統一させる必要がなかったんです。

 子どもがいないと現実的な問題を回避できるというか、二人の意見が異なっていても相手を尊重できた、ということもあると思います。どんなに仲が良くても、相手の領域、たとえば仕事のことなど、私が知らないこともたくさんありましたから。

誰よりも大切な人を看取るということ

質問:GWG読者の多くは、親や伴侶、兄弟姉妹など自分にとって大切な人を看取ることが現実味を帯びてきた世代です。本には、闘病中の夫婦の様子や看取りのときのお気持ちなども赤裸々に書かれていますが、大切な人を看取らねばならないと知ったとき、何を最も大切にしようと思われましたか?

 最後まで、回復する奇跡を信じることです。それでも私も弱気になったり、信じられなくなったときはありました。そんなときは周囲の友人たちが応援してくれました。

 闘病生活中、「私が諦めないことが、彼を苦しめているんじゃないか?」と悩んだことがありました。そのときは同様の経験を持つ先輩に電話をしたんですが、「世界中の誰もが諦めても、あなただけは諦めちゃいけない」と言われたんです。そう言われて、気持ちが引き締まりましたね。私が信じるのをやめた瞬間に、彼はいなくなってしまうかもしれない。私が手を離した瞬間に、彼は落ちてしまうかもしれない。「だから、私は手を離さない」と。それからは毎日、できる限り笑顔で看病を続けました。

山村美智プロフ写真2
Photo by Daisuke Omori

質問:本の中で、ずっと独身を貫いてきた女友達が「これからは、一人を楽しむことを考えなきゃ」と励ましてくれた言葉に距離を感じた、というくだりがあります。「彼女の一人と、今一人になった私の一人は違う」という言葉がとても印象に残りました。どう距離を感じたのか、お話してもらえますか?

 36年半というと自分の人生の半分以上、大人になってからの人生のほとんどです。その間、ずっと一人暮らしで生きてきた女性には、しっかりとした一人での生活や考え方、それに基づくすべてのことがあると思います。

 一方、36年半の間、夫と二人で生活してきた私は、考え方も生活も二人が基準。買い物にいけば二人分、夫の好きなものを見つければ買おうと思うし、楽しいことも辛いこともすべて二人で共有してきたので、二人がセット。言うなれば彼は私だったんですよね。しかも病気になってから絆がさらに強固になったので、彼を失った私は、まるで真っ二つに割れた土偶の片割れのような感覚でした。割れちゃったから、片足では立てない。二つの足でしっかり立っている土偶のような女友達と、割れた土偶の片割れの私とは、同じ「一人」でも全然違うって思ったんですよね。

質問:大切な人を失っても、私たちの人生はこれからも続きます。それがわかっていても、なかなか前に進めない方々も大勢いると思いますが、山村さんはこれからどのように自分の人生を踏み出そうと考えていらっしゃいますか? 

 それは、私が聞きたいですね(苦笑)。でも、きっと、半身の土偶がそれでも前に進んでいくには、人との関わりしかないんでしょうね。あと、もうひとつは仕事ですね。仕事をするときには悲しみを忘れられるから。

 今はとにかく、人とかかわっているときには「元気な振り」をしています。いつか、それが「振り」ではなくなる日が来るかもしれないので、それまで「振り」をしていかないといけないな、と思っています。

 今の私が、なんとか頑張れるのは、「私に関わってくれる人」がいるからです。

 世界中で誰よりも自分のことを思いやってくれる家族がいなくなった私に、何が必要かといったら、私のことを気にかけてくれてくれる人たち。夫を亡くしたとき、自分も生きていたくないと思いましたが、それを踏みとどめさせてくれたのは、温かい言葉をかけてくれ、心を寄せてくれた人たちでした。そういう方々がいてくださる中で、自分がいつまでも落ち込んでいてはいけない、前に進んでいかないといけないと思うようになってきました。

 きっと世の中には、私のように寂しい、寂しいと感じながら毎日暮らしている人はたくさんいるでしょうし、前に進めない人の気持ちはとてもよくわかります。

 そんなときは「前に進まないといけない」とか、「ちゃんと輝かなければいけない」とかは考えず、そこに滞っちゃっていいと思うんです。私自身、深海魚のように海の底で溺れそうになっていたけれども、そこに長くいたら「このままでは溺れてしまうから、上にあがらなきゃ」と思う日が必ず来る。そう思うようになるきっかけというのが、周りの人との関わり合いなんだと思います。

 これは私の場合ですけれど、流れに任せていれば、人間には必ず生きる気力が戻ってくるはず。だから、落ち込んでいるときは、頑張らなきゃと焦る気持ちがあっても、今いるところで少しぼんやりすることも必要だと思います。「あー、私って本当にマイナス志向だな」と落ち込んで、深海にいるような気持ちが続いても、人間はいつかは必ず海面に上がるという体質を持っているから大丈夫。その時が来たら、ゆっくり上がればいいんじゃないかな。

質問:最後に、この本をどんな方々に読んでもらいたいですか?

  老若男女、すべての人に読んでもらいたいですね。この本を読んで、山村美智っていう人は大変だったんだな、なんてことは1ミリも思わなくていいので(苦笑)、小説を読むような感覚で読んでもらいたいですね。「ああ、周りの人を大切にしなきゃな」って思ってもらえたら嬉しいです。だって、人間はひとりでは生きられないのだから。

 どんな人だって、明日いなくなるかもしれない。私の場合は、1年半の闘病生活で夫に向かい合うことができたけれども、私の周りにも愛する人を突然亡くされた方が何人もいます。どんなに大切な人とも、必ず別れがくるのは、私たち人間の宿命です。それを必ず胸に刻んでおかないと、後悔すると思います。  

 だから、喧嘩したまま別れたらダメなんです。でも、そんなときでもハグさえしていれば、その別れは違ったものになる。だから、ハグって、すごく大きいものだと思います。

山村美智さん プロフィール

1956年11月5日生まれ。三重県出身。大学時代に劇団「東京キッドブラザース」に在籍。1980年、フジテレビにアナウンサーとして入社。1981年、『オレたちひょうきん族』の初代ひょうきんアナウンサーに抜擢され、 “女子アナブーム”の先駆け的存在となる。1984年に宅間秋史氏と結婚し、1985年にフジテレビを退社。以来、女優として活動を続ける。2003年、自ら脚本を執筆した『私とわたしとあなたと私』で主演、演出を担当し、2007年には同作品の英語版『I and Me & You and I』をオフ・ブロードウェイで上演。主な出演作品に、大河ドラマ『功名が辻』,『龍馬伝』(NHK)、『恋する母たち』(TBS)、『贖罪』(WOWOW)、映画『ゆめはるか』(五藤利弘監督)などがある。
山村美智オフィシャルブログ http://yamamuramichi.jugem.jp/

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