初めまして 入月一服です
介護って何だろう?

<やまなし介護劇場>
「母、危篤」の連絡を受け、東京から故郷山梨へ飛んで帰って早10年。50代独身の著者が愛する母を介護しながら生活する日々を明るくリアルに綴ります。

山梨の片隅で石コロのように……

はじめまして。
知る人しか知らない演劇人(笑)かつ介護人の入月一服(いりづき・いっぷく)と申します。

独身女性54歳。山梨在住。更年期を乗り越え、女性ホルモンはほぼ壊滅し、身も心も「リアル・ジェンダーフリー」を爆走中です。

私は長年、東京で様々なバイト生活を送りながら、演劇ユニットを作って活動していたのですが、今から11年前、突然の「母、危篤」により、故郷・山梨で介護生活が始まりました。

当時の私は43歳。世に言う「不惑世代」のはずが、久しぶりの田舎暮らしにメチャ不貞腐れたり、逆境を楽しんだり、また不貞腐れたり……と惑いまくり、それを繰り返しながら今に至ります。

バイトはしていますが、要するに「ゴロツキおばさん」ですね(笑)。

そんな山梨の片隅で石コロのごとく、ゴロゴロ生きている私に、シアトルに住む旧友から約20年ぶりに連絡が入りました。

「東京から山梨の実家に帰って、大切な家族の介護をしながら暮らす日々の中で人生を考える」というテーマで月一回コラムを書いて欲しいと。

そして、その旧友は『Go Women Go』の編集長だったと(笑)。

でも山梨で暮らす私から見ると、『Go Women Go』の執筆陣は自立してキラキラ輝いているカッコいい女性たちで、「はぁ? ここに私が参加するの!?」とボー然。場違い感しかないな、と思いました。

しかし、カッコよく見える女性たちだって歳を重ね、様々な悩みを抱えながら生きているのだから皆同じだと聞かされ、「そうか。それならば、カッコいい女性たちがさらにカッコよく生きるために、山梨からの私の戯言が気晴らしに、いや、日常の一服になれば、それはある意味、徳を積むようなものかもしれない……」という思いに至ってお引き受けしました(笑)。

焦りと不安を笑いが救う

さて、11年前の春、突然その知らせはやってきました。

「母、危篤」――。

ドラマの中でしか見たことがなかった事が、とうとう私の身にも起きたんだな~という気持ちが湧き上がったことを今も覚えています。ドラマと違ったのは「人は案外、ドラマチックにはならないものだな……」と、感じたことでしょうか。

まず身内に何か起こると、その家族はとても忙しくなります(笑)。病院に到着するやいなや、あっちこっちに呼び出されるし、いろいろな書類を書かされるし、おまけに当の本人(母)は何を言ってるか判別できない「うわ言」を言い続けるので、家族は多少の興奮状態に陥ります(笑)。

我が家の場合は、緊迫した状況下でもそこに「笑い」があったことで、だいぶ救われました。

たとえば当時、母は長い髪を束ねていたのですが、毛量が異常に多かったので、執刀医の先生が「手術のためには髪を剃りたいのですが、この髪は宗教上の理由とかですか?」と、神妙な顔で私たちに聞いたので、先生が退室してから「宗教上の理由って、何それ(笑)?!」と家族みんなで失笑。

また、手術前にベッドに横たわる母の周りに集まった家族が、何かを言おうとしている母のそばに耳を近づけると、母が言ったのは「プーさん(飼い犬)の散歩は?」。一瞬とは言え、もしかしたら最後の言葉になるかもしれないと緊張した家族は顔を見合わせて苦笑いしました。

その母が長時間の手術に耐えて一命を取り留め、集中治療室へ運ばれて行きました。母はどんな様子だろうか、私は母の術後の様子を受け止められるだろうかと考えながら、生まれて初めての集中治療室へ神妙な面持ちで足を踏み入れると……

「グガガガ~!!ンガッ!!」

そこには丸坊主になった母が、「ここは工事現場か!?」と錯覚するほどの高いびきを轟かせて眠っていました。その姿はまるで知らないオジサン(笑)。でも、そんなところで笑うわけにはいきません。私はひたすら笑いをこらえながら集中治療室から退出し、待ち受けていた神妙な面持ちの身内と笑わずに向き合うという、まるで罰ゲームのような時間を過ごしました。

と同時に、母が一命を取り留めたことに心からホッとしていました。
(だからこそ不謹慎を楽しめたのだと……お察しください)

「不幸だねえ」と言われて

「脳出血」——。

そんなこんなで、病院で母の病名を聞かされても、
「はぁ……、それは助かるんですか?」
と、ぼんやりした受け答えしか出来ませんでした。

そして、
これから私たち母娘の長い長い介護生活が始まるなんて
その時は露ほども思いませんでした。

私は4人兄弟の長女として生を受け、面倒見がいい人だと言われ続けて生きてきました(笑)。しかも東京で劇団ユニットを主宰しながら、独身で気ままに生きてきたよねと思われていた上に、バイトの派遣仕事の「契約終了日」が近づいていた——。家族の中から選出する介護人代表候補にはうってつけな人材でした。

まさに『女はつらいよ』という人生の岐路に立たされても、この性格でしかも長女ですから逃げるわけには行きません。自分の劇団の公演が迫っていましたが、母の入院生活の開始と共に私は東京と山梨を往復するようになりました。それに掛かる費用など心配事は山のようにありましたが、当時の私は「病に臥せった母を持つ、多少腫れ物として扱わねばならぬ人」という世間の指標を自己分析し、表面的に降り注ぐお見舞いの言葉のシャワーを浴びる度に、平凡な日常が少しばかりドラマチックになったような気もしていました。

そんなふうに人生をエンタメ化していた私に、ある日その言葉は降ってきたのです。

「不幸だねぇ……」

なんとそれは、道端ですれ違った知人からの言葉でした。

その人に悪気はなく、たぶん圧倒的に語彙力が乏しい人だったのでしょう。
なぜならそう言った時の表情が、ただただ「大変だねぇ……」のソレだったからです。

でも、その言葉は無理やり状況をドラマチック化していた私の心に小さなトゲのように刺さり、それ以来、私の心をときどき疼かせる言葉になりました。

『介護とは、親が命懸けでおこなう最後の子育て』

人は皆、それぞれ幸せの定義を思い描いて人生を営むのだと思います。

そういう一般的な定義と照らし合わせてみると、私の幸せは少し変わっているかもしれません。でも、私も皆さんと同じように「不幸にはなりたくない!」と思ってます(苦笑)。

言葉には言霊が宿り、人を洗脳していく——と言います。

知人から何気なく「不幸だねえ」と言われて以来、
母と他愛のない口喧嘩をするたびに、「不幸」という言葉が頭をもたげるようになりました。

「結婚もしないでフラフラして……」なんて陰口や悪口は全く気にならないのに、
母の介護が始まった私には知人が無邪気に選んだ言葉がまるで死活問題かのごとく心を揺さぶり続けたのです。

だから、私が置かれた状況に対して、
「不幸だねえ」に変わる言葉はないのだろうか?と、ずっと考えていました。

そんなある日、
ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします』の監督・信友直子さんのインタビュー記事を目にしました。

そこに、こう書かれていたんです。

「介護とは、親が命懸けでおこなう最後の子育て」

……刺さりました。

いつしか母に対して「介護してあげている」と思っていた自分の傲慢さ。
そこにガツンと一発、喰らったような気持ちになりました。

私は誰かのために、自分の人生を惜しみなく使ったことがあるか?
私は誰かの喜びを、自分の喜びのごとく心から喜んだことがあったか?
私は誰かの人生を、自分の人生と照らし合わせて考えたことが……。

自分に足りていない何かが噴水のごとく湧き上がり、呆然としました。
同時に「語彙力が高い人は豊かな表現をするんだなあ」とひどく感心しました(笑)。

それからの私はこの新たな言霊に洗脳され(笑)、
「介護をしつつ、子育てされる」……という、一見ややこしい環境に身を置きながら山梨で生きていくことにしたのです。

そんな視点で、これから毎月お送りする「やまなし介護劇場」をお楽しみいただければ幸いです。

山梨で同居中の入月一服(著者)と母。二人共、いい笑顔!
山梨で同居中の入月一服(著者)と母。二人共、いい笑顔!

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