第12話「自分が戻れる場所」

新入社員を見て思い出す、自分の若かりし頃

 4月になると行く先々の会社で、「今年入った〇〇です」と新入社員を紹介されることがある。まだ着慣れない真新しいスーツに、目をキラキラさせた曇りのない顔で「よろしくお願いします!」と言われると、「眩しい」と思わず手で顔を覆いたくなる。いや、実際そんなことはしないけれど、彼らのフレッシュな姿を見ると、とっくに忘れてしまったあの頃の純粋な気持ちがひょっこり顔を出し、なんだか気恥ずかしくなってしまう。

 確かに私にもそんな新人時代があった。OLから転職して映像業界に入った時は、全くの異業種だったので何か新しいことが始まるドキドキと、ワクワクした気持ちで「やってやるぞ!」と変に力が入っていた。

 入社して間もない頃、録音スタジオでナレーションの収録に立ち会うことがあった。16ミリフィルムの短編映画。どんな風に作品が仕上がっていくのかも知らなかった私は、プロデューサーから「監督を手伝ってこい」と命じられた。

 その頃の私の立場は、アシスタント・プロデューサーという肩書きだったけれど、ナレーションを録り終えて、みんながほっとひと息ついたとき、監督から「あなたは何をやりたいの?」と尋ねられた。「何をやりたい? 何をやりたい?」と自問する声が頭の中でリフレインして、私の口から咄嗟に出た言葉が、「ドキュメンタリーです」だった。監督は「何のドキュメンタリーをやりたいの?」と続けて聞いてきた。

 「……」。私は答えられなかった。自分を大きく見せようとした23歳の私。きっと監督には、「何も考えていない小娘だ」と見透かされてしまっただろうと恥ずかしくなって帰りたくなったあの日を思い出す。

 私は「ドキュメンタリーを撮りたい」というような思いがあって映像業界に入ったわけではなかった。別な夢があったのだが、いつしかそれを諦め、偶然にも紹介されて入った会社が映像制作会社だった。だから、映像学校に通っていた同期と比べて、自分は何も分かっていないという引け目がずっとあったのだ。

「二丁目食堂 トレド」との出会い

 30代になった私は実際にドキュメンタリー番組を手がけるようになった。でも番組を作りながらも、「私は何を撮りたいのか?」ということがずっと頭の片隅に引っかかっていた気がする。

そんな時に出会ったのが、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』という番組で、東京・神楽坂にある「二丁目食堂 トレド」の撮影だった。

 神楽坂で地元の人々に愛されてきた小さな喫茶店が再開発で取り壊され、37年継ぎ足してきた「継ぎ足しカレー」がなくなってしまうという家族のドキュメンタリー。神楽坂の裏通りにあった当時のトレドは、マスターと奥さんが2人でやっていて常連さんが集まる「知る人ぞ知る」店だった。

神楽坂「二丁目食堂 トレド」マスターと奥さん。2011年から復活した「継ぎ足しカレー」フルーツの甘味にピリリと辛い。
「二丁目食堂 トレド」マスターと奥さん(左)。2011年に復活した「継ぎ足しカレー」(右)

 どうしてその店を取り上げることになったのか? それは、偶然の出会いだった。

 プロデューサーから「東京は坂が多いから、坂をテーマにしたドキュメンタリーのシリーズを作ろう」と提案され、私はAD女子と一緒に東京の坂のひとつである「神楽坂」を歩き回った。何日も「番組になりそうなネタはないか」と気になる店を片っ端から訪ね歩き、いろんな人に話を聞いたが、残念ながらあまり手応えはなかった。

 「疲れたから帰ろうかなぁ」と路地をとぼとぼと歩いていた夕暮れ、ふと、一軒の店の前に置かれた手書きのメニューが目に飛び込んできた。ホワイトボードにカラフルなペンを使って描かれた、オムライスやカレー、日替わり定食の絵。そのメニューに導かれるように、恐る恐る店の重いドアを開けると、チリンとドアのベルが鳴った。昭和にタイムスリップしたような内装の喫茶店。マスターと奥さんは私たちを見てちょっと不思議そうな顔をしながら、「今、オムライスくらいしかできないけどいい?」と聞いてきた。出てきたオムライスは美味しくて懐かしい味がした。

 ひょんなことから出会った「トレド」に通ううちに、話し好きのマスターと優しい奥さんとも親しくなって、常連さんの顔も憶えるようになった。トレドを取材しようと思った決め手は、「美味しい料理」と「このマスター面白い」と働いた私の「勘」だ。いつしか私たちは、広くない店内でカメラを回していても気にならなくなる関係になっていた。

やりたかったことを見つけた日

 ある日、病院の検査から帰って来たマスターが、家族の前で「癌だった。俺もうダメかもしれない」と告げた。家族の一員のようだった私たちは、しっかりとその瞬間をカメラに収めた。そんな思いがけない瞬間から物語が動き出すこともある……。

 トレドのマスターと奥さんは、新しく建てられたビルの一角で、今も元気に働いている。今では私にとって、東京のお父さんとお母さんのような存在だ。たまに店に顔を出してカレーをいただきながらおしゃべりをするとホッとする。

 「私は何を撮りたいのか?」との問いには、今なら答えられる。私は「その人の生きてきた証」を残したいのだ。どんな家族でも人知れず、いろんな問題を抱えている。様々な家族を取材することで、自分の子どもの頃の家族の風景をふと思い出したり、自分が持たなかった家族を追体験することもできる。

 今もTVの取材がひっきりなしにあって忙しく働いているマスターと奥さんには、できるだけ長く店を続けていて欲しいと思う。私が仕事で迷った時にいつでも戻れる場所があるように……。

今月の駅弁:期間限定『にぎわい福弁当』

 通年あるお馴染みの駅弁の他に、春夏秋冬にしか販売されない旬の食材が入った駅弁や期間限定の駅弁もある。駅弁の出会いは、一期一会。だから私は、「限定品」の駅弁に目がない。

「にぎわい福弁当」3/16~6月末頃までの期間限定

 今回ご紹介するのは、2024年3月16日、北陸新幹線が金沢から敦賀までの延伸を記念して販売された幕の内弁当。中央は蟹、小鯛、鮭、鯖などのちらし寿司で春らしく華やかだ。「里芋のころ煮」「厚揚げの煮たの」は、福井の郷土料理をイメージしたものらしい。「ひじき煮が美味しいなぁ」と思っていたら、こちらは明治創業33年の老舗「日本橋大増」のものだそう。

 デザートは抹茶のお餅にくるみが入った「羽二重餅(はぶたえもち)」と、さつまいもの甘煮の上に「福井梅」をのせたもの。最近の駅弁は、お口直しに甘いものが入っていることが多くて、ちょっと嬉しい。私が買う駅弁は1,300円あたりのものが多いが、こちらは1,750円で6月末までの限定販売。ちょっとお高めだけれど、期間限定だからよしとしよう。

ひとり駅弁部 過去コラム
おすすめの記事