誰かのそばにずっと。世界にひとつしかない、“ぽーぽーさん”

心がほっこりする、“ぽーぽーさん”

 心がほっこり温かくなる、のほほんとした表情のオリジナル・キャラクター、“ぽーぽーさん”を作り続けて10年。造形作家のaikoさんは、七宝焼作家のお父様とモノづくりが好きなお母様の間に生まれ、幼少の頃から“モノづくり”が大好きな子どもだったそうです。寡黙で職人気質な父と社交的で明るい母、素直で優しいお姉様と4人で、モノづくりそのものが日常という環境の中で育ったaikoさんに、造形作家までの道のりや、“ぽーぽーさん”に対する想いを伺いました。(聞き手:永浜敬子)

ぽーぽーさん1

受け手の笑顔をイメージしてモノづくり

Q:モノづくりは、子どもの頃からお好きだったそうですね?

 はい、幼い頃、特に好きだったのが、母に習ったクラックビー玉づくりでした。フライパンでビー玉を赤くなるまで炒って、氷水に入れて急激に温度を下げるとビー玉に細かいヒビが入って、光が乱反射してキラキラと光るんです。出来上がったビー玉の美しさはもちろん、作る過程が楽しくて、よく母と一緒に作りましたね。クラックビー玉にモールを付けた指輪をたくさん作りました。

Q:そうして作ったたくさんの作品は、どうされたのですか?

 うちの家族は、作ったものを毎年開催される市民祭で売るのが楽しみだったんです。これは20歳くらいまで、続けてた家族の恒例行事。私も初めて自分で作った指輪をそこで売りました。10円だったんですけど、これがよく売れたんですよ(笑)。おそらく小さい子どもが売っているので、お愛想で買ってくれたんだと思いますが、嬉しかったですね。

 それから、あみぐるみやキーホルダー、アクセサリーなど様々なモノづくりにも挑戦しました。母は私たち姉妹に「これ、おもしろいよ」と、いろんなモノづくりを教えてくれたんです。そうして、自分たちで作ったものを手作り市やバザーで売り、そのお金で次に作るものの素材を買うというサイクルができあがりました。お金を出して買っていただくのだから、中途半端なものは作れない。どんなものを作れば喜んでもらえるだろう、買ってくれた人が笑顔になるにはどうしたらいいか……。私のモノづくりの基本は、常にそこにあります。だから以前からずっと私の作るものは作品ではなく、商品だと思っています

命を吹き込まれ、動き出した“ぽーぽーさん”

Q:学生時代もモノづくりを続けていたのですか? 造形作家になったきっかけは?

 学生時代も変わらず、好きなものを好きなときに作る日々でした。造形作家を目指すというより、あくまで趣味としてモノづくりを楽しんでいたのですが、学校を卒業し、仕事を始めてしばらくした頃、バセドウ病になって入院したんです。退院しても安静にしていなければならず、通院もあって仕事がままならなくなり、退職せざるを得なくなったんです。途方に暮れていたとき、母が「一緒に何か作って手作り市に行こう! 売れなくても楽しいと思えればいい」と励ましてくれたんです。辛いときにモノづくりが大きな心の支えになりました。それからですね、それまでにも増してモノづくりに力が入ったのは。造形作家という肩書は自分で言い出したのではないので、今でもちょっとおこがましいように感じるのですが、自然とこの道を進んでいました。

Q:“ぽーぽーさん”が生まれたきっかけを教えてください。

 病気になった頃は、本を参考にあみぐるみを作っていたのですが、やはりそれは模倣にしか過ぎないと気づき、「自分のオリジナルのキャラクターが欲しい!」と強く感じるようになったのです。そこから、子どもがお絵かきできるような丸いフォルムをコンセプトに試行錯誤が始まりました。でも、意外と時間はかからなかったんですよ。自分の中からすっとイメージが湧いて、自然にこのカタチになりました。母に見せたら「なんか気持ち悪い」と言われましたけど(笑)。でも、ある雑貨店の方が「僕はいいと思うよ。作り続けることが大事。そのうちにキャラが勝手に動き始めるから大丈夫」と、お店に置いてくださったんです。その言葉を励みに作り続けました。その後、次第にファンも増えて、大きなイベントや百貨店から出展の依頼が舞い込むようになりました。

Q:それから“ぽーぽーさん”一筋になのですね。ぽーぽーさんを通して印象に残るエピソードを教えて頂けますか?  

 ある日、いつものようにイベントに出店していたとき、一人の男性に声をかけられたんです。その方が私に、「実は数年前、僕がものすごく辛かったときに“ぽーぽーさん”と出会ってとても癒やされたんです。“ぽーぽーさん”がいてくれたおかげで、辛い時期を乗り越えて、今の妻とも出会えました」とおっしゃったんですね。驚いて「そんな力がありますか?」と聞いたら、隣にいた奥様が「本当にそうなんです。“ぽーぽーさん”に助けられたんです」と。すごく嬉しかったですね。ああ、「キャラが勝手に動く」って、こういうことか!と思いました。

ぽーぽーさん2

“ぽーぽーさん”は笑っている人を見ているのが好き

Q:“ぽーぽーさん”をキャンプや旅行に連れていく方や、病院で“ぽーぽーさん”と一緒に過ごしている闘病中のファンの方もおられるそうですね?

 ぽーぽーさんを迎え入れた方々から届く、「癒しになった」、「支えになった」というお便りは本当に嬉しいですね。病院やリハビリセンターの窓口や支援学級の教室に飾ってくれたり、キーホルダーを御守りにしてくれたり……。わざわざ病院から擦り切れた“ぽーぽーさん”を抱いてイベント会場まで来てくださった方とお会いしたときは、胸が熱くなりました。私が想像もしなかった場所で、恐れ多いけども誰かを支えてると聞くと本当に嬉しいです。だから、どんな状態になっても修理しているんです、ずっと持っていてほしいので。もちろんビジネスを考えたら、新しいものを買ってもらうほうがいいのでしょうけど、実は“ぽーぽーさん”は、2つと同じものがないんです。

Q:確かに、“ぽーぽーさん”をよく見ると、ひとつひとつ表情が違いますね。これには理由があるのですか?

 どの子がいいか、悩んで選んでほしいのです。そうすると、より愛着がわくと思うんですよ。あえて造形をシンプルにしているのは、主張しすぎず、いわば空間の差し色的な存在であってほしいから。あとちょっと何かあればいいな、そうだ、帽子を作ってみよう、というような気持ちになってもらえたらいいなと思います。疲れた時に力が抜けるような、何故か笑ってしまうような。“ぽーぽーさん”が主役ではなく、何かに誰かにそっと添えられるような存在になってほしいです。“ぽーぽーさん”は、笑っている人を見ているのが好き——という想いで作っています。

Q:“ぽーぽーさん”と共に歩んで10年。造形作家としてのaikoさんのこれからの目標は? ご自身が作家として「情熱」を傾けていることは何でしょうか?

 私は落ち込んだときが、次に行くステップだと思っているんです。コロナ禍でイベントがことごとく中止になりましたが、これを機会にインスタライブやネット販売を始めて、イベントに来にくい地方の方にも買っていただけるようになりました。でも、ひとりで作る量には限りがあります。だからと言って、工場で量産はしたくないんです。あくまでも手作りにこだわりたい。以前は作るのが楽しい、上手くできて嬉しい、買ってもらえて嬉しい……と、自分の気持ち良いことに満足していましたが、「ぽーぽーさんを見た人が笑ってくれるにはどうすればいいか?」という方向に心を傾けるようになりました。

 だから、あえて言えば、たくさんの笑顔を作ることが私の情熱かな? いつか、おばあちゃんになって、『あいばあちゃんの個展』を開催して、アシスタントさんに「はい、針持って。そこ違うよ!」と怒られながら、震える手で“ぽーぽーさん”を作るライブイベントをやるのが夢です(笑)。

aikoさんのプロフィール

aikoさんプロフィール写真

 兵庫県出身。子どもの頃から神社や町の手作り市に自作品を出展。2009年にぽーぽーさんが誕生、作家名「Okia 」として活動を始める。大阪、名古屋、東京などの大規模な手作りイベントに出展後、初めての百貨店出展は大阪髙島屋。その後、岐阜髙島屋、名古屋髙島屋にも出展。大阪駅直結のLUCUA1100など大型商業施設のイベントなどでも活躍。現在は梅田大丸、天満屋岡山本店、岐阜髙島屋、名古屋髙島屋などの各地の百貨店に、それぞれ年1回のペースで出展中。期間限定でネットショップも展開。インスタライブで制作風景や即興イラストを配信している。

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