好きなことを諦めなければ、きっといいことが待っている【前編】

日本人で唯一、グラミー賞を受賞したバイオリニスト

 日本人のバイオリニストとして唯ひとりのグラミー賞受賞者であり、ニューヨークを拠点に活躍している音楽家、徳永慶子さん。アメリカの弦楽専門誌『Strings』が、「しなやかに宙を舞いながら心の奥底まで問いかけてくるような音色が純粋で透明な弓さばきによって彩られて観客を魅了した」と絶賛したことでも知られています。

 国際的に活躍する一流の音楽家であり、アンサンブル「INTERWOVEN」の創設者であり、名門ジュリアード音楽院予科から世界を目指す生徒たちの指導者でもありながら、なんと弊誌で好評連載中の漫画『へいお待ち!マグロ一丁」の作者でもあるという多才な徳永慶子さんとは、どんな方なのでしょうか? じっくりとお話をうかがいました。

このまま日本にいたら、潰されてしまうかもしれない

編集部:ニューヨークを拠点に現在どのような活動をされているのですか?

 私の本業はバイオリニスト、副業は漫画家です(笑)。バイオリニストとしては、ニューヨークを拠点にソロや室内楽の演奏を中心に活動しています。先月にはクラシック、古楽、アジア音楽の垣根を越えて新しい音楽を発信していくアンサンブル「INTERWOVEN」を創設しました。アジアの音楽家たちによるこのアンサンブルを通して、昨今の「Stop AAPI Hate」運動*などへメッセージを届けられればと願っています。漫画家としては、Go Women, Go!に毎月掲載していただいている我が家の猫、マグロさんが主人公の「へいお待ち!マグロ一丁」のほか、私自身のバイオリニストとしての生い立ちを綴る「ヴァイオリニストができるまで」を自分のインスタグラムで更新しています。

*Stop AAPI Hate:アジア系アメリカ人と、ミクロネシアなど太平洋諸島出身者への差別を撲滅するムーブメント

編集部:多彩すぎて何から質問させていただくか迷いますが、まずはバイオリニストとしてのお話を聞かせてください。バイオリニストになるのは、子供の頃からの夢だったのですか?

 はい、5歳の時からバイオリニストになって世界で活動するのが夢でした。一時期はアニメの声優さんになることに憧れたりもしましたが、中学2年生ぐらいの時に「やはり、バイオリンで頑張りたい」と思いなおし、それ以来ずっとブレていません。

編集部:アメリカに留学しようと決めたのは、なぜですか?

 日本では、バイオリンやピアノなどを本格的に勉強している子供たちのほぼ全員が、国内の様々なコンクールに挑戦することが求められます。でも私は、「コンクールで好まれる」演奏をすることがどうしてもできなくて、毎回玉砕していました(笑)。

 「コンクールで好まれる」演奏スタイルとは、要は「テクニックが正確で、音が美しく、クセが強くない演奏法」ということなんです。当時の私は、テクニックはおそらく合格点だったのですが、「演奏がユニークすぎる」とか、「体当たりな演奏」とか、「運動会を見ているような錯覚におちいった」などと言われていたので、心で感じるものをそのまま体現しながら、ノリノリで弾いていたんだと思います(笑)。

でも高校1年生の時に「今度こそは!」と思い、それまでの弾き方を改めて、音の正確さ、美しさ、静かな佇まい、ストレートな解釈を重点において、コンクールに調整したのですが……。でも結局、それでも予選敗退。そのときに、「私、このまま日本にいたら間違いなく潰される」と強く感じました。そして、以前から何度かレッスンしていただいていたジュリアード音楽院の教授からの強い後押しもあって、留学を決意したんです。

バイオリニスト徳永慶子プロフィール写真1

グラミー賞受賞への道のり

編集部:そして高校生の時に単身でニューヨークへ渡り、プリカレッジを経て名門ジュリアード音楽院を卒業。プロの音楽家として世界で勝負していくのは並大抵のことではないと思いますが、「バイオリニストを職業にしていこう!」と思ったきっかけは?

 一時期、アニメの声優になりたいと思っていた頃を除くと、ちょっと変な表現ですが、「バイオリニストになりたい」というよりは、「私はバイオリニストになるんだ」と常に「知っていた」ように思います。私の中で、バイオリンを演奏する以外に、やりたいことはほとんどないんですね。それは決して人生の他のことに興味がないのではなく、バイオリンが自分のアイデンティティであるということなんだと思います。

編集部:ジュリアードを卒業後、どのような経緯でプロになられたのですか?

 在学中から「アタッカ・カルテット」という、同じジュリアードの学生同士で結成した弦楽四重奏団に所属して、学校からの紹介やクチコミで、コンサートホールとは程遠い街の広場や介護施設、個人のお宅などで演奏させていただいていました。卒業後は、ありがたいことに少しずつお仕事の依頼も増えていき、2007年にカーネギー・ホールで、デビューリサイタルを行いました。音楽の世界では「資格」みたいなものはないので、演奏や音楽関連の仕事で生計を立てていけるようになったらプロなのだと思います。

編集部:その「アタッカ・カルテット」のアルバムで昨年、第62回グラミー賞最優秀室内楽の受賞を果たされた。素晴らしいことですね。おめでとうございます!

 ありがとうございます。とても光栄です。日本人のバイオリニストでは初めてのことだったので、ラッキーだったと思います。

バイオリニスト徳永慶子プロフィール写真2
グラミー賞のトロフィーを手にした徳永慶子さん

編集部:外国人の音楽家としてニューヨークで生活する中で、苦しいこともあったと思いますが、これまで最も大変だったことは何ですか? そして、それをどのように乗り越えたのでしょうか?

 そりゃあもう、誰がなんと言おうとグリーンカード(永住権)を獲得するための過程が一番苦労しました。音楽家の慎ましい収入から弁護士費用を貯めるのも、推薦状を書いてもらうために恥を捨てて四方八方にお願いするのも、電話帳のように分厚い書類をまとめるのも全て大変でしたが、一番苦労したのは「あなた受け入れることによって、アメリカにとって何の利益があるのか述べよ」という質問に答える時でした。優秀な音楽家がウジャウジャいるこの世界で、「私の存在意義って何なんだろう……?」とメンタルが落ち込むこともしばしばでした。あれは、もう2度とやりたくないですね(苦笑)。でも、本当に大変なプロセスの中で、自分が困っている時に力を差し伸べてくれる人たちがいたからこそ、「私の居場所はここにあるんだ」と感じ、諦めないで頑張れたのだと思います。

編集部:ここに来るまで大変な道のりを歩いてきた徳永さんですが、10年前の自分に、今の自分が言ってあげられることがあるとしたら何と声をかけますか?

 恋愛でも、仕事でも、「自分が自分であることを怖がらないで」です。以前の私は「自分の意思を貫いたら、嫌われてしまうかもしれない」という考えにとても怯えていました。公私ともに、「私が少し我慢すれば物事が円滑に進み、みんなの為になる」と信じきっていたんです。でも、自分を偽ることにはいずれ限界が来てしまいます。「本来の、自分がありたいと願う姿」を見つけて、それをそのまま受け入れてくれる人を探しにいけば、必ずもっと充実した人生を送ることができるから、「変化を恐れずに自分に向き合ってみて!」と、伝えたいですね。

———インタビュー後編に続く———

徳永慶子さんプロフィール

徳永慶子(バイオリニスト、漫画家)

神奈川県出身。高校2年生で単身渡米し、ジュリアード音楽院予科に編入。その後、同楽院より学士、修士号およびアーティスト・ディプロマを得る。現在は同学院予科の講師として在籍中。

2005年から2019年までアタッカ・カルテットに所属。これまでに第62回グラミー賞(室内楽・小編成アンサンブル部門)を始め、第7回大阪国際室内楽コンクール優勝、メルボルン国際室内楽コンクール3位入賞、ABCラジオクラシックFM視聴者賞受賞などを多数受賞。アメリカ、カナダ、メキシコ、南米各地、ヨーロッパ、オーストラリア、日本など世界中で演奏活動を続けている。

ソリストとしては、これまでにスペイン国立管弦楽団、バルセロナ=カタルーニャ管弦楽団などと多数共演したほか、2007年の王子ホールでのソロ・デビュー以降、アメリカ、カナダ、日本で多くのリサイタルを行っている。2016年5月にはソロとしてのデビュー・アルバム「Jewels」をNY Classicsレーベルからリリースしている。

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