日本の国民食、カレーを世界中に広めたい!

飲食の激戦地ニューヨークで起業 大森智子さん

 女性起業家を紹介するシリーズ第2回目は、ニューヨーク在住の起業家、大森智子さんをご紹介します。

 今やニューヨークのマンハッタンに本社を構えて多角的に事業を展開している大森さんですが、ニューヨークに引っ越して来たときの夢は、実業家になることではありませんでした。企業の経営者になるとは考えてもいなかった大森さんが、アラフォーで起業を決意したのは、どのような経緯だったのでしょうか? どんなに忙しくても笑顔を絶やさず、バイタリティーに溢れ、いつも元気に走り回っている大森さんに、起業家として大事にしていることや波瀾万丈な人生について、お話を伺いました。

大森智子さんへの15の質問

質問1:あなたのお仕事について教えてください。

 「Go Go Curry」というカジュアルな飲食店の経営と、アメリカにおける同ブランドのフランチャイズ本部を経営しています。「ゴーゴーカレー」は石川県金沢発祥の金沢カレーのひとつのブランドで、東京や北陸を中心に日本全国70店舗あります。弊社はアメリカのフランチャイズとして全米展開をしており、現在はニューヨークのマンハッタンに12店舗、全米で14店舗の直営フランチャイズ店舗のサポートをしています。

質問2:企業の代表となるに至るまでの経歴と経緯は?

 ニューヨークの出版社で働いていた時に、同郷である石川県の企業がカレー屋さんをNYでオープンすると聞き、取材に伺ったのがきっかけです。当時の同社は日本では急成長を続けていたものの、アメリカでは進出して5年間で1店舗だけという状況でした。出版社で働きながら、同郷のよしみで同社のマーケティングのお手伝いをしたり、地元の情報を提供したりしていたのですが、そんな中で「店舗をもっと増やして全米展開したい」という熱い想いを持った創業者にヘッドハンティングされました。経理も経営も何も知らず、飲食店の勤務経験もない私が、日本の子会社の現地社長として雇われたんです。

 初めての社長業は、資金調達の方法なども知らないまま走り出しました。「資金繰りも社長の仕事」と言われていたので、自分個人のクレジットカードを限度額最大に使用したり、私個人で保証をしながら店舗を拡大し、日本からの増資なしに2年半で5店舗まで拡大することができました。でも就任から3年で、日本の親会社の運営が芳しくなくなり、アメリカの子会社を潰さざるを得ないかもしれないと相談されました。そのときに抱えていたアメリカにおける店舗拡大のための借金はすべて私の個人の保証でしたし、社員たちを守るためにも、ここで会社を潰すわけにいかないという思いから、独立させていただき、全米市場の開拓と経営を引き継ぐ形になりました(その後、日本の会社は立ち直り、今では大企業化されています)。

質問3:この仕事に就こうと思ったきっかけは?

 前々職では、米大リーグ野球の試合中継を行うTV局の現地ディレクターとして全米中を出張する仕事をしていましたが、アメリカには日本食レストランが少なく、アメリカンなファストフードしかない地域が多いことが不満でした。もともと食への興味は高く、前職では食に関する雑誌づくりを通して、飲食店経営者の方々を広告や記事でサポートしたり、日本食をアメリカ人に英語で紹介したりしていたので、アメリカでラーメンが流行りはじめたときには「次は日本の国民食、カレーもアメリカに受け入れられる」と思っていました。そういう背景から、いつかレストランを経営してみたいという思いがあり、全米に展開する事業にもおおいに魅力を感じて、この仕事に就こうと決心しました。

質問4:この仕事を続けてきた中で、最も大変だったことは何ですか?

 大変だったことは片っ端から忘れていくので、あまり覚えてないんですよね……(笑)。でも、近々ではコロナ禍での飲食業の経営ですね。

 2012年以来、一度の赤字も出さずに右肩上がりで経営してきましたが、店舗を拡大していく中で、ビジネスマンのランチを狙った出店に絞っていったので、コロナ禍でマンハッタンがゴーストタウン化して、オフィス街に人がいないのに世界で一番高い都市の家賃を毎月支払わなければいけなくなってしまったんです。キャッシュフローが不安で眠れない日々を過ごしました。そんな時に、夫が体調を崩し入院し、公私共に崖っぷちに立たされました。そのときは、唯一事情を知っていた私の右腕であるスタッフが、他のスタッフたちが各自の責任を担うようにまとめてくれました。夫も一命を取り留めて無事退院し、自宅で彼の看病をしながら仕事を続けることができたので、この経験によって人に任せるということと、夫と過ごす時間の大切さを教わりました。

質問5:「自分は経営者だ」と実感する瞬間は、どんなときですか?

 従業員とその家族がいるので、逃げられないと思う時(笑)。それから、大変なことが起きたときも(笑)。何か問題が起きた時は、よりパワーがみなぎってくるというか、どう解決していこうかとチャレンジすること自体が楽しいと思って仕事をしています。

質問6:「経営者になってよかった」と思うことがありますか? 

 あります。自分が信じたことを自分の意思で貫き通し、即実行できるので、責任はあるものの、ストレスはありません。自分も成長しなければ会社の成長はないと思っているので、学びや成長に対しても貪欲に自分の時間を使うことができるのも、経営者になってよかったと思うことのひとつです。学んだことを共に会社で実践し、自分も社員も成長していることが実感できるときにも、そう思います。

質問7:この仕事に就いてから最も失敗したエピソードがあれば教えてください。

 失敗したことも結構すぐ忘れてしまうんですが(笑)、近々の失敗だと、私が手術を受けてしばらくリモートで仕事をしたときのことですね。昨秋、子宮筋腫で緊急手術が必要と言われて慌てて摘出し、2週間の自宅療養をしたのですが、そのときに大問題が発覚。自分では「人に任すことを学んだ」と思っていたのですが、実際には自分が思っていたようには実現できていなかったんです。

 フランチャイズ事業を開始して出張が多くなり、それまでのように店舗を自分で回ることができなくなったのに、利益も出ているから任せていて大丈夫だろうと思っていました。でも実は私の知らないところで、私から尋ねない限り自分ができてないことには触れないという「社長取説」ができていた(苦笑)。私がスタッフを甘やかしていた部分もあったと思いますが、店長なのに自宅からリモートで仕事をしていたり、連絡がつかなくなる店長もいたのに、忙しくて気づかなかったんですね……。そういうことが私の術後の療養期間に露呈したのはとても痛かったですし(苦笑)、経営者としてお恥ずかしい話です。

 もちろん、すぐに問題の解決に取り組みました。それにより退職者が増え、自分の作ってきた会社の文化が悪かったのかと猛省しましたが、責任をもって自分の仕事をするスタッフが残ってくれたので、ミッションもコアも変えず、再びスタートを切りました。このことでトラスト&バリファイ(Trust & Verify、任せたら確認する)とコミュニケーションの大切さを学び、やはり「人として何が正しいか」で判断することが重要だと実感しました。

質問8:仕事の原動力は何から沸きますか?

 自分と従業員、フランチャイズ・オーナーさんたちも含めた、みんなの成長と会社の成長から。ルーティン・ワークより、挑戦とかドラマが好きなんだと思います。

質問9:自分がここまで、この仕事を続けることができた成功の鍵は、なんだと思いますか?

 何事も意味があって起こっているとポジティブに受け取り、ピンチはチャンスだと本気で思って前進していく性格と、やるからには楽しもうという明るさ。絶対なんとかなると信じている楽観的な性格。約束は守るという責任感。

質問10:会社員時代と経営者になった今とで、ライフスタイルに変化はありましたか? ある場合、それはどんなことですか?

 会社員時代も朝から晩まで働き詰めでしたが、仕事が終わる頃にはどっと疲れが出て、毎年11月末ぐらいには身も心も擦り切れた状態で友人の家に避難するというような状態でした。その頃はいつもストレスを抱えていて、タバコもやめられず、朝起きるのも苦痛な時もありました。言いたいことも言えない中で、自分のエネルギーを抑えることが必要でした。

 でも、経営者になってからは、朝から晩はもちろん、週末も休暇中も仕事をしているのに苦になりません。夫と過ごす時間もきちんと取り、ハイキングや適度な運動もしながら、仕事とプライベートのバランスも取れています。視野を広げることにも積極的になりました。自分のエネルギーこそが会社のエネルギーを作っていくと思っているので、元気でいることも仕事のうちという心構えで暮らしています。

質問11:自分で事業をするということにおいて、最も重要なことは何だと思いますか?

 責任を持って、信念を持って、誠実にやり遂げるという心と体の強さ。私の場合は、社長として雇われた時にマラソンを始め、コロナ禍で中止になった昨年までにニューヨーク・マラソンを9回、完走しました。マラソンは今でも得意ではありませんが、事業をやる上で精神と体力を鍛えるのにとても役に立ちました。経営には終わりがないので、マラソンのように1回、1回でゴールがあるのも励みになります。

質問12:子供の頃の夢はなんですか?

 女優になって、いろいろな役を演じて人に感動を与えること。私が渡米したのは、女優になりたかったからでした。カリフォルニアの大学で演劇を学んだ後、ニューヨークの演劇学校に入学して、そこを卒業後にはオフブロードウェイの舞台に立つことができました。子供の頃からの夢が私をニューヨークへ導き、ニューヨークで起業したことに繋がっています。

質問13:今後、挑戦したいことは何ですか?

 まずは全米100店舗を展開して、上場を目指します。カレー以外にも美味しい日本食をアメリカに紹介して、海外にもっと日本食を広げていきたいです。

質問14:3年前の自分に、今の自分が言ってあげられることがあるとしたら、何と声をかけますか?

 さらに高い山に登るには、信じられるチームとツール(システムや技術)が必要! 自分でやるのが早いからって、なんでも自分ひとりでやってしまわないでー(笑)!

質問15:座右の銘は?

 「幸せは自分の心が決める」

日本の国民食カレーを全米に広めるべく、次々と新しい店舗を作る大森さん。HEAPS iPad2号(2013年)掲載写真より

大森智子さん プロフィール

大森智子

Go Go Curry America Group 代表取締役社長兼 CEO
55 Curry Franchise 代表取締役社長兼 CEO

1973年、石川県七尾市生まれ。七尾高校卒業後、女優を目指してカリフォルニアの短大に進学。在学中に舞台の主役に抜擢される。短大卒業後、ニューヨークの演劇学校へ。同校を卒業し、オフ・ブロードウェイを経験。1997年、住んでいたアパートが火事に遭い、すべてを失ったことをきっかけに、舞台をビジネスに変更。米大リーグの試合を日本にTV中継する現地ディレクターとして新庄選手、イチロー選手、松井秀喜選手らを担当。当時、大リーグ投手だった長谷川滋利氏に「幸せにしてもらう人生より、自分で幸せになる人生の方がいい」と言われ、「金持ち父さん、貧乏父さん」の本と出会う。2005年、結婚を機にニューヨークの出版社に転職。2007年、雑誌「Chopsticks NY」を立上げたが、リーマンショックで廃版の危機に陥る。それを凌いだ後、2012年にGo Go Curry USA社に社長として雇われる。2015年、Go Go Curry America Group社を設立して親会社から独立。2017年には、55 Curry Franchise 社を設立。趣味は旦那さん。

ゴーゴーカレー・アメリカhttps://gogocurryamerica.com 
ゴーゴーカレー・フランチャイズ www.gogocurryfranchise.com

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