みぎわさん前編

会社員を経て30歳で音楽家に転身!そしてNYへ移住

 グラミー賞のノミネート経験もあるニューヨーク在住の実力派ジャズ・ミュージシャン兼作曲家、宮嶋みぎわさん。この経歴を聞くと、「きっと、アメリカの音楽大学を卒業して成功されたエリート音楽家なのだろう」と、思われるかもしれません。

 宮嶋さんは、音楽としてはちょっと変わった経歴をお持ちです。なんと30歳までは、日本で普通の会社員をしていたというのです。しかも、留学経験があったわけでもなく、英語をビジネスレベルでマスターしたのも30歳を過ぎてから!

 どんなことがきっかけで、ジャズの本場・ニューヨークで活躍する音楽家になったのか? その軌跡を2回に分けてお届けします!

音楽家を目指して退職したのに、コントショーでデビュー?!

 私は、30歳までリクルートに勤めていたんです。その時にもすでに趣味でジャズバンドはやっていて、アマチュアとしては結構人気もあったのですが、あくまでそれは趣味。仕事に全力投球していました。最後にリクルート社内で配属されたのは『じゃらん』という旅雑誌の編集部。いろんな意味でやりがいはありましたし、安定を求めるのが優先だったら、きっと会社を辞めなかったと思います。

 けれど常日頃から、「自分の言いたいメッセージを伝えるには、音楽家になった方がよいのでは」と感じていたのに加え、ちょっとした事件が起こり、それが後押ししてくれたような形で「よし、会社を辞めよう!」と(笑)。「音楽家になるぞ!」という決断から数カ月で、会社を飛び出したんです。

 仕事を辞める前は楽観していたんですが、辞めたら仕事がなくてビックリ(笑)。フリーランスの音楽家として働くことの大変さを知るには、それほど時間はかかりませんでした。貯金で食いつないで近隣の大学などに音楽を教えに行ったりしていたのですが、「あれ? 私このまま行ったら貯金なくなっちゃう?」となり。「これはマズイぞ」と焦りました(笑)。

 そんなとき、運の神様が味方をしてくれたんです。知り合いが私のことを大竹まことさんのコント・ユニット「シティーボーイズ」のディナーショーに起用してくれたんですよ。彼らのコントのボケとツッコミにあわせてピアノを弾くという、今、思えばかなりシュールな仕事だったんですが、これがとても上手くいって。その後、そのショーに私を起用してくれた会社が、仕事をくれるようになったんです。

 人に話すと「えーっ!?」と驚かれてしまうんですが、お客さんの前で演奏する「プロの音楽家」としてのデビューは、コメディのステージだったんです(笑)。

ニューヨークへ移住するきっかけとなった出会い

 そうこうしているうちに、仕事に穴が開いたことがあって。そのタイミングで「スケジュール空いたなら、ちょうど1週間、The Vanguard Jazz Orchestraがライブやるから、ニューヨークに行ってみれば?」とアドバイスをくれた方がいて。「それ、いいアイデア!」と思って、すぐに渡米したんですよ。

 ライブには、毎日通い詰めました。今思えば、かなり無謀だったと思います。ニューヨークのことなんて全く知らないし、英語も出来ない。日本人って、若く見えるでしょう? ジャズクラブは先着順で良い席が取れるんですが、ヘタしたら高校生くらいにしか見えない小柄なアジア人が、毎日リュックサック背負って一流ジャズクラブに1時間前から並んで、ドアが開くと同時に一番いい最前列の席に陣取って、演奏を聴きながら五線譜を片手に必死にメモを取る。しかも私、演奏を聞きながら泣き出しちゃったりしてましたから(笑)、相当変わった人だと思われたはず。でも、それくらい必死だったんですよね。

 そんな変わった行動をしていた私が、ステージの上で演奏している人から認知されるまでは数日しかかからず、ミュージシャンの方から声をかけてもらったんです。本当に幸運でした。彼らの質問につたない英語で一生懸命答えて、どんなにジャズが好きで、自分もジャズオーケストラの曲を書いていて、みんなの演奏を聞いて本当に感動したことなど、とにかく必死に話したら、なんとバンド・リーダーのひとり、ダグラス・パーヴァイアンスと話す機会に恵まれたんですよ。

 The Vanguard Jazz Orchestra は50年以上続く伝説のジャズオーケストラですが、当時は日本ツアーをしていなかったんです。ニューヨークでの小さな出会いをきっかけに、私、「彼らを日本のジャズ教育のために、日本に連れて行かねば!」と、ピンと来てしまって。辞書を引きつつ英語で彼宛に直談判の手紙を書いたんです。それがすべての始まりになりました。そこから2年かけて、何度もニューヨークに行って交渉を続けることになったんです。

 これが簡単ではなくて(笑)。当然ですが、まずは人間関係構築をしなくてはいけませんよね? 彼らには私をまずは知ってもらい、信頼してもらわねばならない。同時に私も彼らのことを、もっと知らねばならないわけで。渡航のために200万円近いお金を使い込んで信頼を勝ち取る努力を続け、しかし彼らが日本ツアーには前向きになっても、日本側でパートナーを見つけることは至難の業で。

 そんな私を案じて下さった方が、「ツアーを実現するのは甘くない。一筋縄にはいかない世界だし、騙される人もたくさんいる。あなたが傷つくのを見たくないから、もう交渉は止めた方がいい」と泣きながら私を説得してくださって。けれど「そうですね、ではもう諦めます」と受け止める気にはならず、最後にもう一回、自分の目で相手の目をみて話したいという思いで、もう一度ニューヨークに行って、当時のリーダーで、トロンボーン奏者のジョン・モスカと会ったんです。

 彼はとても背の高い人なのですが、下から見上げた時の彼の瞳がとても美しくて。「この人が私を騙すわけがない。この人に騙されると決めてかかってツアー交渉を諦めたら、私はきっと後悔するだろう」と確信して(笑)。

 そんなこんながいろいろあって、最終的に私の想いが届いたんですね。彼らが日本に来ることも叶い、さらにその後、私はそのバンドの副プロデューサーとなったんです。

 ちょっと余談ですが、ジョン・モスカは現在、私のオーケストラ「Miggy Augmented Orchestra」でも演奏してくれています。前作『Colorful』に続き、今年私が手がけているプロジェクト『Unbreakable Hope and Resilience(希望の光は消えない)』にも、参加してくださっています。アメリカで一人奮闘する私を、ときに家族のように包んでくれる存在。困った時には、いつも温かな手を差し伸べてくれました。私にとって彼は生涯の友と言うべき、人生の先輩です。

ジョン・モスカ氏(左)、宮嶋さん(中央)、ダグラス・パーヴァイアンス氏(右)。右はThe Vanguard Jazz Orchestraのメンバー

夢を叶えるために得たものと、失ったもの

 私はThe Vanguard Jazz Orchestraの一員として、2度のグラミー賞ノミネートを経験することが出来ました。その間、⽂化庁新進芸術家海外研修制度・研修員として⽶国へと移住し、拠点をニューヨークにしてから、もうすぐ10年になります。

 私、とにかくジャズのことに関しては、すべてがラッキーなんです。私は、究極の人の幸せっていうのは、自分がありのままでいることをみんなが喜んでくれることだと思うんですね。がんばらなくても、私が存在していることとか、自分としてはすごく普通のこととしてやっていることを周囲が喜んでくれることって、すごく嬉しいんです。ニューヨークは、それがまさに叶う場所。自分を生かせる幸運、出会えた場所と言っても良いと思います。

 けれど、それと引き換えに失ったものもあるかもしれません。たとえば、私には「家庭を作って子供を産む」という機会はありませんでした。楽しいけれど、私のような人生にはアップダウンの激しさがあります。自分が来年どこにいるかもわからないし、自分が来年どんなプロジェクトをやっているかもわからないから。うーん、来年どころか、明日もわからないと言った方がいいかもしれない。だから、自分のやるべきことをマックスまでやり遂げようと思っていたら、ずっと安定はできなかったんです。

 ずっと必死だったから、たとえば卵子を冷凍保存する技術があることにすら目が行かず。あの頃、もしもその技術を知っていたら、卵子凍結していたかも。とは言っても、人生は何が起こるか分かりません。今は50歳を過ぎてから子供を産むような人もたまにいるし(笑)。人生は予定外なほど楽しいものです。

====後編に続く====

宮嶋みぎわ プロフィール:

 上智⼤学⽂学部教育学科を卒業後、(株)リクルートにて住宅広告制作、ITエンジニア、旅⾏雑誌編集者、編集デスクを経て2004年、30歳で⾳楽家に転⾝。⾳楽⼤学に⾏かず、独学でプロの道へ進む。

 プロ転⾝5年⽬に⽶国ニューヨークで50年以上の歴史を持つ「The Vanguard Jazz Orchestra」に⾒出され、2009年より同バンド⽇本ツアーを毎年プロデュース。2011年と2014年には副プロデューサーとしてグラミー賞ノミネートも経験。現在、同賞を決定する投票権をもつThe Recording Academyの会員。

 2012年9⽉、⽂化庁新進芸術家海外研修制度・研修員として⽶国ニューヨークに移住。2017年7⽉、NYの⽼舗ジャズクラブBirdlandに巨匠・秋吉敏⼦以来14年ぶりの⽇本⼈⼥性ビッグバンドリーダーとして初登場、満員公演で業界を驚かせた。2018年、NYの名⾨レーベルArtistShareに⽇本⼈作曲家として初参加、デビューアルバム「Colorful」を同レーベルより発表。同年、NEAジャズマスターであるSlide Hampton率いるSlide Hampton Big Bandの指揮者と副プロデューサーを担当。2019年、新進芸術家に贈られるジェロームヒル・アーティストの⼀期⽣に音楽ジャンル唯⼀のアジア⼈として選出され、2020年にはニューヨーク市が⼥性芸術家の優秀な芸術作品に贈る「NYC Women’s Fund For Media, Music and Theatre」に選出された。

 現在は⾃らの楽曲を演奏するビッグバンドMiggy Augmented Orchestraを率いるほか、世界的なサックス奏者Steve Wilsonなど、他のアーティストへの楽曲提供も⾏っている。脱サラで夢を仕事にした体験を話す講演やジャズ普及のための講演、⽇⽶をはじめ世界各地での⾳楽教育普及活動に積極的に取り組んでいる。

公式ホームページ:https://miggymigiwa.net

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