授業参観の課題は「生い立ち」

「生い立ち」について書いてください

 小学校に入学して1年が経ち、それなりに穏やかな日々が続いていたある日、学校から帰宅した太郎くんが私に担任の先生からの伝言を伝えてました。「先生が私に伝えたいことがあるので、連絡帳を読んで、だって」と言うのです。私は首をかしげながら、すぐに連絡帳を開きました。すると、そこにはこう書かれていました。

 授業で「生い立ち」について取り上げることになりました。各自が自分の生い立ちについての作文を書き、そこに写真や絵を加えて数ページの冊子を仕上げ、それを授業参観にて発表させる予定です。太郎くんは自身の生い立ちについてどこまで対応できるでしょうか。また、写真の提供は可能でしょうか。

 これを読んで私は小学校ではこのような授業があるのかと感心し、自分が小学生の頃にも同じような授業があっただろうかと考えてみましたが、思い出せませんでした。そんなことを考えながら、その夜、太郎くんを寝かしつけた後に担任の先生へお返事を書きました。

〇〇先生

 お気遣いいただき本当にありがとうございます。本人が児童養護施設から我が家に引っ越した際に何冊かアルバムをいただきましたので、その中からいくつか写真を提供できます。母子手帳もありますし、乳児院や児童養護施設、児童相談所の職員から本人の成長ぶりをたくさん聞いておりますので、この件は対応可能です。

 翌日、担任の先生から、「対応可能とのこと、安心いたしました」とのお返事がありました。先生の胸のうちがなんとなく想像できました。

私の知らない太郎くんの3年間

 それから数週間後、「あなたの誕生から3歳頃までのことを、お家の人に書いてもらう」という宿題を持って帰ってきました。自分の生い立ちを綴った冊子を作る一環です。

 太郎くんが我が家の一員になったのは、彼が5歳の時。それまでのことは、関係者から聞いた話でしか知りません。そこで私は、太郎くんが我が家に来る前の様子を知っている方々のお話をひとつひとつ丁寧に思い出し、「私の知らないことが、きっともっとあるんだろうなあ」と感じながらも、私になりにそれを書いてみました。

 その後、そこに添える写真を選ぶため、久しぶりに太郎くんの生後数か月から我が家に来る直前までの5年半の人生が詰まったアルバムを開き、そこに貼られた写真を1枚ずつ、ゆっくりと見ていきました。赤ちゃんの頃の写真を見て「むちむちでかわいいな~」とひとりで笑ったり、「なんとなく面影があるな」と思ったり、幼稚園の時よりも今の方が成長していることを改めて感じたり……と、様々な感情がよぎりました。

 数日後、担任の先生から私が提出したものに対する温かい感想をいただき、その後は1週間に1度、太郎くんの冊子の進捗状況について先生から連絡が入るようになりました。担任の先生が太郎くんをよく見てくださっている様子が伝わり、それを読むたびに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

授業参観当日に太郎くんが言ったこと

 とうとう授業参観日がやってきました。私たち夫婦は揃って仕事を早退して、「今日の発表はどんなものになるのだろう?」と考えながら学校に向かいました。考えてみても、その様子は想像できませんでしたが……。

 授業参観では、生徒ひとりひとりが出席番号順に発表をしていく形式で、太郎くんはクラスの真ん中辺りでした。最初の数人の生徒たちは、「私は〇〇病院で△△時□□分に生まれ、おじいちゃんとおばあちゃんにとって初孫だったため……」とか、「ぼくは〇人きょうだいの△番目で、生まれた時からお父さんにそっくりだと言われ続けています」など、生物的な繋がりがある親に育てられているからこそ言えることばかりだと気付きました(当たり前のことでしょうが……)。

 生徒たちのハツラツとした発表を聞きながら、私の心の中は「太郎くんが開口一番にお父さんとお母さんは、ぼくの本当のお父さんとお母さんではありません」と言ったらどうしよう、などと不安な気持ちでいっぱいになり、他の生徒たちの発表が次第に耳に入ってこなくなりました。申し訳ないとは思っても、不安は止められませんでした。

 そして、とうとう太郎くんの番がやってきました。太郎くんが自分の席から教室の最前方に移動する数秒の間に、私は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けて、太郎くんが何を言っても受け止めるぞと気合を入れて構えました。

 私は全神経を集中させて、太郎くんの発表を聞きました。まず、生い立ちについて。私の知っていることばかりだったので、ひとつひとつにうなずきながら共感。その後も「それは言わない方がいいかも」と私が慌てるようなことを発言することはなく、うんうんと噛み締めながら聞き続けていると、唐突に太郎くんがこう言いました。

「お父さん、お母さん、ぼくを育ててくれてありがとう」

 そして、手に持っていた冊子をパタンと閉じ、スタスタと歩いて自分の席に戻っていきました。そのとき私の隣に立っていたお母さんがそっと私の肩をたたき、私に向かって音を立てずに小さな拍手をするジェスチャーをしながら、泣いていました。私はといえば、太郎くんの発表が無事に終わったのだという安堵感からどっと疲れが出て、へたへたと床に座りそうになるのを堪えながら、なんとか授業参観を終えました。

 数日後、担任の先生から「太郎くんが一生懸命課題に取り組んだこと」や「太郎くんの家庭環境ではなく、話す内容に注目が集まるような冊子が仕上がるように指導したこと」等の連絡をいただきました。誰かにとっての当たり前が、他の誰かにとっての当たり前ではないことは世の中にたくさんありますが、この「生い立ち」という課題のもと、様々な配慮をしてくださった当時の担任の先生には今でも感謝しかありません。

 我が家の特別養子縁組ものがたりはまだまだ続きます。お楽しみに!

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