第8話 師走に思い出す女優さん 

土屋太鳳さんと行ったパリ

 ドキュメンタリーのディレクターを志して以来、有名人よりも市井の人を好んで取材してきた。活躍中のアーティストや俳優、スポーツ選手なども取材させて頂いたが、いろいろと規制が多い中で撮影するよりも、私を家族の一員として迎えてくれるような、どこにでもある「家族の風景」に惹かれてしまう。

 けれど、印象に残っている有名人の方々もいる。そのひとりが、土屋太鳳さんだ。今は結婚されてママになったが、当時はNHKの朝ドラ『まれ』が終わった直後の二十歳の初々しい女優さんだった。朝ドラの中でパリに憧れるパティシエ役だった土屋さんが、リアルにパリ、アルザス、ウィーンを訪ねてその土地の極上スイーツのルーツを探しに行く番組『土屋太鳳が行く! 欧州スイーツ紀行』(NHK)の撮影で一緒に旅をした。

 その撮影の日程が決まって準備を進めている時、2015年11月にパリで同時多発テロが起きた。バレンタインデーのオンエアを予定していたので、12月に出発しないと間に合わない。でも、パリは深刻な状況だったので、私も番組スタッフもロケは中止になるだろうと半ば諦めていた。そんな時に女優さんを連れてのロケは荷が重すぎる。たぶん土屋さんもこんな状況では行きたくないだろうと思っていたら、「土屋さんは行きたいと言っているそうです」と連絡が入った。そうは言ったってテレビ局側からパリ行きの許可が下りないだろうと静観していたら、思いがけずOKが出てパリへ行けることとなった。

 それまで準備がストップしていたので、みんな大慌て! 番組ディレクターの私はロケハン(下見)をする必要があり、みんなよりもひと足先にパリに入った。実はパリは学生の頃から憧れの地だったけれど、滞在するのはその時が初めて。「最初にパリに行くときは、仕事の企画が通ったとき」と決めていたので、それが実現して嬉しかったはずなのに、街には銃を持った警察官たちがたくさんいて、ただならぬ緊張感からワクワクした気持ちにはとてもなれなかった。

ウィーン空港での大事件

 この番組の旅の目的のひとつに「マカロンで有名なパティシエの巨匠ピエール・エルメさんに土屋さんが会い行く」ことがあった。海外旅行も旅番組もほぼ初めてだった土屋さんは、とても真面目で、ロケ車の中でも眠らずに私が渡した資料を熱心に読んでいた。そんな土屋さんをエルメさんも気に入ったのか、事前の打ち合わせでは、「マカロンを作るのはエルメさん本人ではなくアシスタントで」という要望だったのに、本番になると突然、エルメさんが土屋さんと一緒にマカロンを作り始めたのだ。これは土屋さんが持つ「愛され力」の魔法に違いない。

 そして、ロケ中に、土屋さんが『紅白歌合戦』に審査員として出演することが決まったという連絡が日本から入った。土屋さんはとてもストイックで、海外にいる間も毎朝ランニングを欠かさなかったが、紅白出演が決まってからは、スイーツをたくさん食べる旅だからと、訪ねた土地の美味しい食事を我慢してサラダ中心に食べていた。お肉が大好きだと聞いていたので、隣でそれを食べるのは申し訳なくて「少しだけ食べる?」と聞いたら、「ありがとうございます」と言って、ひと口のお肉を美味しそうに食べていたのを憶えている。

 ロケをなんとか無事に終えることができたが、帰国の日、空港で大事件が起こった。

 ウィーン空港からパリ空港への乗り継ぎが1時間、余裕だと思っていたのに思いのほか搭乗口が遠くて、着いた時にはすでにゲートが締め切られていたのだ。閉められたゲートは開けてはもらえないことは重々承知しているが、帰国翌日の大みそかに『紅白歌合戦』の出演を控える土屋さんは、絶対この日に帰国しなければならない。航空会社の従業員に頼み倒し、説得を重ねてなんとか飛行機に乗せてもらうことができたのだが、もし、あの時、飛行機に乗れなかったら……今でも思い出すと、ゾワッと背筋が凍る。私はしがないフリーランスのディレクターなので、『紅白歌合戦』に出演する土屋太鳳さんが帰国できなかったら、そのあと私はNHKを出入り禁止になっていたかも知れない(苦笑)。

心から気配りができる人

 私は無事に乗れた安堵感と旅の疲れで、帰りの飛行機では爆睡してしまった。土屋さんも疲れていただろうに、日本に着いたら彼女はスタッフ全員に直筆のお手紙を渡してくれたのだ。きっと飛行機の中で書いたのだろう。手紙の内容はひとりひとりみんな違っていて、彼女の心遣いがとても嬉しかった。

 ドキュメンタリーを撮っていると、取材させて頂く方々と一緒に年を越すロケも多い。久しく『紅白歌合戦』をゆっくり見たことはなかったが、土屋さんが出演するというので帰省を遅らせて、東京の自宅でテレビを見ることにした。昨日まで一緒に旅をしていた土屋さんが華やかなテレビの中にいるのはとても不思議だったが、「本当に間に合って良かった……」と思いながらテレビを見つめる忘れられない年越しとなった。

 新しい年を迎えて、実家の新潟に向かった。元旦の新幹線は空いていた。車内で食べた駅弁は、なぜかいつもと違ってちょっと寂しい味がした。それは、大変だったけれど楽しかった旅の終わりを感じたからだろう。私の仕事はこの繰り返しだ。

 今年最後の駅弁には何を選ぼう? そして迎える新しい年には、どんな駅弁と出会えるだろう? 2024年も初めての駅弁との出会いがきっと待っているはず!

これは昨年最後に食べた駅弁。2022年12月29日

今月の駅弁紹介:青森で出会った「津軽」

2023年最後は、とっておきの駅弁をご紹介! 
青森で出会った駅弁『津軽』。2017年、戦場カメラマン・澤田教一さんの取材の帰りに、弘前駅で郷土色あふれる駅弁を見つけた。こういうのは東京駅には売っていない。なんだ、このピンクのおいなりさんは!? お品書きを見ても知らないものばかり。この土地でしか食べられない駅弁に出会えるのは、最高!

青森の郷土色あふれる駅弁「津軽」

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