「ただいま」と「おかえり」

太郎くんと過ごす時間が増えていく中で

 太郎くんが我が家に慣れるために始まった「お泊まり」。これまでは土曜日から日曜日にかけての1泊2日でした(ここまでのお話はこちら)。それを経たあとに金曜日の夕方から日曜日の夕方にかけての2泊3日のお泊まりを試します。2泊3日のお泊りは4回あり、「交流」と呼ばれる試みはそこまでで、その後は太郎くんと私たち夫婦が共に暮らす生活が始まります。

 太郎くんが暮らしていた児童養護施設は、私の職場への通勤途中にあったので、自家用車で通勤していた私が、金曜日は定時で職場を出て、太郎くんを迎えに行き、二人で一緒に帰宅することになりました。

 たしかにお泊まりの日程はこれまでより1泊、増えましたが、我が家での太郎くんの過ごし方はさほど変わらず、初回の2泊3日はそれまでと同様に楽しく過ごしました。

 2回目の連泊日を迎えたとき、私が金曜日の仕事帰りに太郎くんを迎えに行くと、この施設で一番長く勤務されている職員の中村さんが出迎えてくださいました。中村さんは、太郎くんが我が家に初めて泊って泣き止まなかったとき、私にお母さんになること、子育てのことに関して「喝(かつ)」を入れてくださった職員さんです(第11話参照)。この日、中村さんは私にこんなお話をしてくださいました。

中村「先週のお泊りから施設に帰ってきた太郎くんが、ももさんとご主人がお帰りになった直後に大泣きしましてね。その理由が、“施設ではなく、お2人のおうちにもっといたかった。お2人のおうちの方がいい。もっと、お2人と一緒にいたい”だったんですよ。」

私はこれを聞いて本当に嬉しくて、その時の太郎くんの様子を即座に頭の中で想像しました。「あ~、何てかわいいのだろう」と、とても愛おしく感じました。

自分の居場所はどこなのか?

 中村「太郎くんはここ3カ月ほど、ほとんどの週末をももさんご夫婦と過ごしています。施設での生活とは異なり、一般家庭では普段、施設では経験できないことを経験させてもらえるので、本人にとっては良い意味で刺激的なことだと思います。しかし、そこには、お2人と過ごした後、また施設へ帰るという現実がありますから、本人なりに、自分の本当の居場所ってどこなんだろう? これから自分はどうなってしまうのだろう?という不安や困惑が入り混じった感情を持ち始めているのかもしれません。」

 大人でも受け入れるのが大変な変化なのですから、子どもの太郎くんはその何倍も困惑しているのは容易に想像できました。施設側では、太郎くんの養育を担当している複数の職員さんが、太郎くんに私たち夫婦と交流をしている理由や、特別養子縁組のことについて徐々に説明しているとのことでした。そして中村さんは、こう続けられました。

「私自身、実子が3人おります。加えて仕事柄、事情がある子どもたちと日々接していますので、家庭で育つことと施設で育つことの違いなど、様々なことを常に考えさせられます。」

 私はベテラン職員の中村さんでも、常に考えさせられていると知って、少しだけ自分の気持ちがラクになった気がしました。いろんな思いが押し寄せているのは私だけではないのだと。

中村「私を含めた職員一同、太郎くんを受け入れてくださっているももさんご夫婦には、本当に心から感謝しております。施設でも、より一般家庭に近い養育を心がけているのですが、やはり様々な面で限界があるのが現実です。施設で生活している子どものひとりでも多くが、一般家庭での生活を少しでも多く体験する機会があればいいのですが、施設の子どもたちは様々な事情を抱えていますから、家庭に戻る見込みがある子どももいれば、そうでない子もいるのです……。」

 中村さんの胸のうちを聞かせていただいたのは、この日が初めてでした。そこに他の職員に連れられて太郎くんが現れて、私の顔を見るやいなや、照れくさそうな笑顔を見せてくれました。私もその様子を見て思わず笑顔になり、太郎くんを連れて、我が家へ向かいました。

なぜ、「おかえり」と言わないの?

 金曜日から我が家へ来るときは、太郎くんは夕食を施設で済ませてくるので、我が家に到着するとお風呂に入れます。前回のお泊りの時に、金曜日の夜には児童養護施設で観るアニメ番組があると分かったので、今回もそれを一緒に観ることにしました。その番組は、私が子どもの時にもテレビでやっていた番組だったので何十年ぶりに見て懐かしかったです。

 アニメ番組が終了しても、夫はまだ帰宅していなかったので、待っている間、太郎くんが施設から持ってきた戦隊シリーズの人形を私に見せて、説明してくれました。でも私は、その名前を聞いてもチンプンカンプン(苦笑)。それでも太郎くんの話を精一杯理解しようとがんばっていると、ようやく夫が帰ってきました。

「ただいま~!」
「おかえり~!」

 私は、横にいる太郎くんの顔を覗きこみました。なぜなら、太郎くんが私と一緒に夫に「おかえり」と言わなかったからです。

「太郎くん、家族の誰かがおうちに帰って来て、“ただいま”と言ったら、おうちにいる人は“おかえり”と言うんだよ。」
太郎「……。」

 私は、太郎くんの口から「おかえり」という言葉が出なかったことが少し気になりました。施設で育った太郎くんは、これまでに「おかえり」を言う機会がなかったのでしょうか? それとも、恥ずかしがり屋の太郎くんですから、人が外から帰ってきたら、「おかえり」を言うことは分かっていても、それを自分が言っていいのかどうか迷っていたのでしょうか? もしくは私たち夫婦に対してまだ心を開いてはおらず、あえて言わなかったのかもしれない……など、いろいろと考えましたが、すぐに回答がでることではないと思い直して、この日はそれ以上これについて考えることはやめました。

 この日はその後、夫が太郎くんと戦隊シリーズで一緒に遊び、太郎くんを寝かせる時間が来たら、夫が英語の本を読み始めました。すると太郎くんはあっという間に夢の世界へ……。

「これは僕らの秘密兵器だよ。“あなたは段々眠くなる~”じゃないけど、英語の本を読めば、太郎くんは内容が分からないから、つまらなくなって、すぐに寝付くんだ」
「アハハ、それはすごい秘密兵器だね(笑)」

 このように、その後ものんびりと平穏に過ごし、太郎くんと一緒に過ごす時間を少しずつ積み上げていきました。そして、一緒に暮らし始める日に着々と近づいていったのです。それでは、次回もお楽しみに。   

<前回までのお話>

特別養子バナー

        



おすすめ記事