
朝日新聞オンラインに掲載された二部構成の記事、『17歳、きょうも生きている 不登校も性別違和もすべて抱きしめて』と『意味がなかった「普通」の押し付け 気づいた母親、戻った親子の絆』が話題になっています。これは弊誌で連載中の『何があっても最後は笑え』の著者、大渕園子さんの家族の話。いつも笑顔を絶やさず元気いっぱいの大渕さんが胸の内に抱えていたものとは何だったのでしょうか? 苦悩から抜け出すまでの軌跡や今の想いなどを伺いました。(聞き手:編集部)
その「普通」は誰にとっての「普通」なのか?
Q:イギリスで国際結婚をして共働きで二人のお子さんを育てている園子さんですが、実は中学生だった上のお子さんが3年以上、不登校だったと朝日新聞の記事を読んで知りました。コロナ禍に不登校になった長女さんは親と会話をすることを辞め、部屋に引きこもって自傷行為を繰り返し、「男の子として生きていきたい」と宣言。そのことを園子さんはすぐには受け入れられず、大変苦しんだそうですね。
はい。実は、私にとって子どもがトランスジェンダーであることを受け入れること自体は苦しいことではありませんでした。むしろ、自傷行為やうつが続いていた中で「男の子として生きていきたい」と打ち明けられたとき、「ああ、これが原因だったのか!」と腑に落ちた感覚というか、希望の光が差した気がしました。
Q:子どもに「性別を変えて生きていきたい」と告げられたこと自体は問題ではなかったと?
もちろん驚きはしましたが、問題ではありませんでした。告白されたときは「このことを私たちが理解して支えてあげられれば、きっと状況は良くなる!」と思って、とても前向きな気持ちになりました。けれど、告白したからすぐに元気になる——ということは起きなかった。告白された後も何年も事態は変わらなかったんです。
Q:性別違和を親に打ち明けた後も事態が変わらなかったのは、なぜですか?
彼(子ども)が私や夫と話さずに距離を取っていた理由は、彼がずっと感じていた自分の性別の違和感そのものではなく、私たち親がそれまで「彼の本質をきちんと見ようとしてこなかった」ことにあったと思います。母親の私は「彼はこういう性格で、こうやって世の中をうまく渡っていけるだろう」と勝手に決めつけて育ててきました。だから彼の本当の声を全く聞けていなかったし、聞こうともしていなかった。なんとなく「こんなふうに思っているんだろう」とか、「あなたはこんな子だから」と勘違いして、彼の本質を見続けなかった母親に絶望したから、彼のうつが続いたんです。
彼が親を避ける期間は告白後も2年以上続き、その間、私はずっと「ここまで追い込んでしまったのは、私のせいだ、母親失格だ」と自責の念を抱えていました。「私の何がダメだったんだろう」と自問を続けているうちに、私自身も精神的な限界に追い込まれていきました。「きっとまた普通に戻れる」と信じながら、不登校が続いた三年半という時間はあまりにも長くて、辛くて、毎日とてもしんどかったです。
Q:その「きっとまた普通に戻れる」というご自身の考えに苦しまされたのですね?
そうですね、絶対に「立て直せる」と信じていたことが一番問題だったんです。何をどう、どこへ向けて立て直すのかも不確かなのに、「元に戻すこと」にこだわっていたんですよね。私が「普通だと思っていた基準」を私が子どもに押し付けていたことに気づくまで、かなり時間がかかりました。でも、そこに気づけたことが転機になって、息子との距離が少しずつ近づきはじめました。二人で一緒に何かを創ったり、家族で話し合って田舎に引っ越したりと、時間をかけて再び家族みんなで行動できるようになっていったんです。

自分たちの話をしよう
Q:この記事で多くの人にご家族のことが知られることになりましたが、なぜ、この取材を受けたのですか?
これまで私は家族、特に子どものプライバシーを守ることを最優先に考えてきました。何かを公にすれば、必ずさまざまな意見が出ますし、理解を得るだけでなく、批判やバッシングを受ける可能性もあるからです。でも昨年、英ガーディアン紙から不登校生徒を持つ親として私が取材を受けた際、「自分の経験を話すことが同じように悩む誰かに届く可能性がある」という実感があったんです。不登校やトランスジェンダーという話は、当事者がどうしても孤立しやすいものなので、もし私たち家族の経験が同じ状況にいる誰かにとって「ひとりじゃない」と思える材料になるなら、伝える意味はあるのではないかと思い、今回の取材を受ける決断をしました。
Q:息子さんが取材を受けると決めた理由は何だと言っていましたか?
記者の方からお母さんだけでなく、息子さんにも取材したい言われたとき、正直なところ息子は断るだろうと思いました。でも息子は、「自分の話をちゃんと真剣に聞いてくれるなら受けてもいい」と、意外にも前向きで取材が実現したんです。特に辛かった3年間(2020〜2023年頃)に比べると回復の途上にあり、自分の経験を語ることができる精神状態になっていたことも理由のひとつだったと思います。
Q:こうして親子で取材を受けたことで、何か気づきがありましたか?
時系列に沿って話をする過程で、自分の心が整理されていきました。当事者として渦中にいた時には見えなかったことが初めて俯瞰できたというか。その中で、これまで一人で抱え込み、強く自分を責め続けてきた思いが、言葉として外に出ていった感覚もありました。そしてこの取材を通して、息子の気持ちを初めてきちんと理解できた気もしています。

家族で食卓を囲める幸せ
Q:この取材の受けたあと、親子関係でそれまでと変わったことはありましたか?
息子は取材後、「こんなに自分の人生の話を真剣に聞いてくれる人がいるなんて、本当に良かった」と話していました。誰かにきちんと話を聞いてもらえたこと自体が、彼にとって大きな癒しであり、自信にもなったのだと思います。その後、息子の調子は明らかに良くなり、家族の中にも「一段まとまった」ような感覚が生まれ、今では毎晩一緒に食卓を囲めるようになりました。
Q:以前は家族揃って食卓を囲めなかった?
3年半ほど一緒に食卓を囲むことができない時期が続いていました。息子の高機能自閉症と性同一障害の診断が正式に出た2025年2月頃から、少しずつ一緒に夕食を取るようになりました。それまで息子は、人生がうまくいかない理由をすべて自分のせいだと責め続けていたのですが、「自分だけの要因ではなかった」と分かったことで、気持ちが救われた部分もあったと思います。そしてこの取材を経て、今は笑いのある夕食の時間を過ごしています。きっと自分の気持ちを聞いてもらい外に出せたことでさらに吹っ切れたのだと思います。
Q:顔と名前を出してこの取材を受けて良かったと思いますか?
息子の不登校やトランスジェンダーのこと、私の鬱のことを知っていた人はごく限られていたので、記事が公開されては本当に多くの反響がありましたが、100%、受けて良かったと思っています。この経験を外に出すことで、誰か一人でも癒されたり、誰かのそばに寄り添うきっかけになるなら、私たち家族が本当に大変だったこの3年半は、決して無駄ではなかったと思えるから。息子も「もしこの記事が日本の誰かに届いて、その人を助けるなら、良かったんじゃない?」と言っていました。
Q:これから、息子さんとどう接していきたいですか?
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、息子は「生きるか死ぬかの局面」は抜け出せたと思います。だから、これからも私は息子の言うことはすべて受け止めて、背中を押してあげたいし、全面的に信じて応援してあげたい。多少うまくいかないことがあっても、彼の人生も私の人生もまだまだ続いていくのですから。私もがんばります、笑。
———ありがとうございました。
朝日新聞 asahi.com
『17歳、きょうも生きている 不登校も性別違和もすべて抱きしめて』(息子の語り)
『意味がなかった「普通」の押し付け 気づいた母親、戻った親子の絆』(母の語り)









