
いろんな人と出会って別れて新たな人とまた出会う
NHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』を見ていてふと思った。旅立つ人と見送る人、どちらが寂しいんだろう? その日のドラマは、団地を舞台に、そこに住もうと決めた主人公と団地を旅立って行く人たちとの交流を描いていた。
私の仕事は旅が多い。撮影の旅先でいろんな人と出会って、取材が終わると親しくなった人に別れを告げ、また新たな人と出会うために旅をする。その繰り返しだが、田舎で撮影をして都会に戻って来ると、車の渋滞や人混みや街のネオンが目に飛び込んできて、なんだか無性に寂しくなるときがある。豊かな自然がある場所で濃い人間関係を築くと、自分の居場所に戻って来たとき、隣に住む人とも話したことがない生活に虚しさを感じてしまうのかも知れない。でも、それは一過性で、すぐに日常の生活に戻ってしまうのだけれど……。
ひとりの時間も欲しくなる
離婚して十数年過ごした街を引っ越す日、片付けを手伝ってくれていた義母が涙ぐんで「早く行きなさい」と言ったのを思い出す。義父母とは仲が良かった。私はこれからの新生活を思い描いて前向きな気持ちだったのだが、突然親しかった人がいなくなった同じ場所で生きていく人の方が辛いんじゃないだろうか……とその時、思ったのだ。
若い頃は、親しい人とは関係性が永遠に続くだろうと思っていた。歳を重ねるうちに自分の生きるステージが変わってきて、そんな永遠はないということが身に沁みてわかってくる。
自分は友達が多い方だと思っていた。テレビの番組制作を始めてから先の予定がなかなか立てられなくて、友達にも滅多に会えないから、仕事が落ち着くとまとめてみんなに連絡して遊んでいた。人とワイワイ過ごす時間が好きだと思っていたが、大人になるにつれ、ひとりの時間も欲しくなってくる。以前は考えられなかったが、ひとりごはんも、ひとり旅も楽しめるようになった。「ひとりなんて絶対に無理」という友人もいるけれど、人生半ばを過ぎると、煩わしいことをなるべく避けたいからひとりが気楽だし、より自由を求めてワガママになってくる。もちろん、それを選んでいるのは自分だと自覚もしている(笑)。
今月の駅弁:いとう屋「奥阿賀の豊かな実り とりめし」
先月「SLばんえつ物語」に乗った時、途中の阿賀町・津川駅で売っていた「とりめし」を買わなかったことを後悔したので、今回は事前に電話で予約して、車で津川駅まで駅弁を買いに行ってきた。
SLが走る土日限定で駅のホームだけの販売なので、乗客が降りてきてすぐに売り切れる「幻の駅弁」と呼ばれているらしい。電車に乗らずに駅弁を買いに行くのは初めてだったが、ちょうどSLがやって来るのを見ることができた。前回の旅は乗客側だったので、沿線の人たちに手を振って見送って貰ったが、今回は私が手を振って見送る番。「良い旅を!」と自然と笑みがこぼれて、こういうお見送りはいいもんだ。

父と妹にも付き合って貰ったので、駅弁を3つ購入した。せっかくだから景色のいい所で食べようと、「天女の花筏(はないかだ)」という素敵な名前の付いた展望台ヘ向かったのだが、これが対向車とすれ違うのも大変な山道だった。免許をとってようやく1年が経つ妹は、手に汗を握りながら運転をしていた。30分ほど山を登って到着した展望台は、眼下に鹿瀬(かのせ)ダムが広がっていてなかなかの景色だったが、来る人も少ない展望台にしては、いささか大袈裟な名前の気がした。

でも、青空の下で食べる「とりめし」は、甘い玉子と甘辛く煮た鶏そぼろのバランスがちょうどよくて美味しかった。阿賀町はきのこが有名らしく、付け合わせに入っているのも嬉しい。デザートは今朝作りたてだと勧められた「笹団子」と冷たく凍った「古代茶」。まだ軟らかくて甘い笹団子が、長時間車に揺られた体を元気にしてくれた。

駅弁を買うのが目的の小旅行だったけれど、通り道で日本一巨木な「将軍杉」を見たり、「不動滝」を見に行ったり、思いがけない出会いもあった。予定を立てない旅は面白い。
