
朝ドラ「ばけばけ」に見る家族観
親を介護するために帰郷してから、いつしか私の生活習慣の中に「朝ドラ」(NHKで毎朝放送される15分ドラマ)が追加されました。朝ドラのヒロインといえば「元気・健気・可愛い」とキラキラしたイメージ(偏見?)で私の人生に無縁な世界観でしたが、帰郷後、家族が観ているので何気なく眺めているうちに、時々とてつもなく面白い朝ドラもあることを知りました。そんなわけで現在放映中の『ばけばけ』も毎朝ウォッチしています。
時代は明治。「怪談噺」でお馴染みの小泉八雲の妻がヒロインです。明治時代、日本は劇的に変化を遂げるのですが、そこには新しい時代の幕開けとともに、時代に取り残された「尊厳」や「価値観」があるわけで、そんな隅っこに追いやられた人々のアイデンティティを悲喜劇的に描いている物語です。
困窮するヒロインは、家族から離れて幸せになる道を提案されるも「自分だけが幸せって虚しい。家族一緒に幸せでないと」と辞退し、さらなる困窮へと突き進みます(涙)。世界的にヒットした「おしん」を彷彿させるような困窮ぶりでありながら、唯一の救いがヒロインの「家族」が能天気さで、どこかシリアスにはならないのです。そんな幸せと虚しさが背中合わせに展開される「ばけばけ」が、我が家の毎朝の楽しみになっています。
時代とともに変わりゆく「家族観」
「家族とはなんなのか?」
そんなシンプルな議題が常に私の中にはあります。家族とは「ご先祖様から受け継がれたひとつのコミュニティ」だと漠然とは理解していますが、シンプルだからこそ、いまだ解答にはたどり着けていないように思います。
私が生まれ落ちた「昭和」から、平成、令和と時代は常に変わりゆき、いつしか新しい価値観からこぼれ落ちゆく自分を感じとる機会も増えました。家族観もそのひとつ。今や家族の介護を家族がすることはナンセンスという価値観も生まれ、なるほどそれも時代だなぁと思います。そんな事を考えるきっかけがあるたびに、私の中で「家族とはなんなのか?」という問いがループするのです。
宿命のコミュニティ「家族」。独身の私にとっては、生まれ落ちたこの「家族」がこの世での最初で最後の家族となるうる——そんなふうに俯瞰して振り返ると、私の家族はわりと能天気で、どこか変わりモノの集団。そして、昭和の高度経済成長期に頑なに変化せず、仕事を失った親と子ども達でもあり、まさに時代に取り残された我が家の団結は強めでした(団結するしかなかった……という言い方が適当かも)。それゆえ「家族が幸せでないと楽しくない」という、今や古い価値観になりつつある朝ドラのヒロインのセリフへと帰結し、『ばけばけ』に共感しているのかもしれません。
ちなみに『ばけばけ』ヒロインには生みの親と育ての親がおり、これから家族二つを背に奮闘していくようです。今後、小泉八雲の妻となって生活そのものは豊かになるのでしょうが、どうやら家族ももれなく一緒についてくるようで、その少々図太さを感じるプロセスにある種の逞しさを学べそう……とも思っています(笑)。
私なりの家族観とは?
母が要介護になってから13年。家族の介助なしではままならない生活を送る母はツラいだろうなぁと思う反面、「ワガママ言い放題で楽しそうだなぁ」とも思います。これは母が家族とともに生きてきて、今も子どもと一緒にいる強味かもしれませんし、自分を犠牲にして支えてきた家族に、巡り巡って支えられている母の特権といえるかもしれません。そんな特権を振りかざすことに子ども達はイライラしつつも、わりと楽しんで受け止めているように思います。
そして、子どもに戻りつつある母から、たまに母親らしいことを言われると、うっかり目から涙が溢れそうになることがあります。この涙のトリガーは謎で、理由が本当に分かりません。先日は母がベットから起き上がって突然私の生年月日を言いあげたので、ひとしきり笑った後、ふいに涙が出そうになりました。
情緒不安定になってはいないので、私が涙もろい年頃になったということなのでしょうが、もしかしたら、この涙こそ介護者の特権かもしれません。いつ終わるかも分からない虚しさ漂う日々の介護生活の中で、時折みられる母の振る舞いがとてつもない幸福感を与えてくれるのです。
「なみだは にんげんのつくることのできる 一ばん小さな 海です」※
他愛のない生活の中に、小さな「海」は突然現れる。そんな時、また「家族とはなんなのか?」という問いが私の中でループするのです。

【介護人の悩み 教えて!ChatGPT】
Q:要介護4の母は子どもっぽいワガママばかりなのに、ときどき突然“母親らしさ”が戻ります。この不思議現象は何なのでしょう?
※AIのChatGPTに聞いてみました(提供:OpenAI)(以下、原文ママ)
認知症では「新しいことを覚える力」や「状況判断」が弱くなる一方で、長年くり返してきた“役割の記憶”(母としての振る舞い)が比較的残りやすいと言われています。これは脳の深い層に刻まれた「情動記憶」が保たれやすいためです。
普段ワガママに見えるのは、認知症による不安や混乱が表に出ている状態。
でも、あなたの声・接し方・安心できる雰囲気がスイッチになって、一時的に情動が安定すると、潜在的に残っている「母親モード」が表に浮かびます。
科学的には「部分的な記憶の再活性化」と呼ばれ、完全に解明されてはいませんが、実際の介護現場でもよく見られる現象です。
だからその瞬間は、病気の波のすき間から“母親だった頃の回路”が一瞬だけ顔を出している。その意味であなたは、ほんの短い時間でも**“母と再会している”**と言えるのかもしれません。
<一服のコメント>
母と居ながら「母と再会している」なんて、まるでポエムじゃないか! またまた目に小さな海が~!!それなら、さらに頑張って自分を「温厚化」し(笑)、もっともっと記憶の母に再会していこうと思いました。








