
九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!
ソーシャルメディアを見ない生活をしてみる
2026年が始まった。
私は去年の終わりから、思いがけず「ほとんどソーシャルメディアを見ない生活」を送ることになった。理由は単純。あまりにも忙しくて自分の時間がまったく取れず、気力もなかったからだ。普段よく使っているソーシャルメディアは、仕事にも欠かせないインスタグラム、地元のニュースやグループがあるフェイスブック、時々スレッズ。そのすべてから意図せず一気に離れる形になった。
最初にやってきたのは、強い「置いてきぼり感」だった。
特にインスタグラムには、私にとって大切な友人やコミュニティがあり、励ましや刺激、出会いがたくさん詰まっている。私はこれまで、そして今も、その意味ではソーシャルメディアを前向きな場所だと感じている。けれど、誰かの投稿に心を寄せ、考え、いいねを押し続け、反応し続ける毎日は、気づかぬうちに自分の時間と心を大量に吸い取っていたと思う。
秋までの私は、おそらく毎日3〜4時間はスマホやPCの画面に触れていた。それが、この1カ月半は多くても1日10分ほど。ほぼゼロに近いという大変化だった。すると不思議なことに、孤独は少し感じるものの、心の中に「自分を守る壁」のようなものができた感覚があった。「そこに属していなければ置いていかれる」という焦りから解放された安堵感。それが一番大きかった。
ソーシャルメディアに使っていた時間から生まれたもの
ソーシャルメディアから離れてみたら、時間がないと思っていたのに、本を数冊読み、以前から向き合いたいと思っていたことに、きちんと向き合う時間が生まれた。もしあのままソーシャルメディア漬けの毎日を続けていたら、この「向き合う時間」もしくは「向き合いたかった時間」は何年も先送りになっていただろう。
今振り返って思う。なぜ私は、あんなにも毎日、長い時間ソーシャルメディアに繋がっていたのだろう? フェイスブックでは、今住んでいるイギリスの街のコミュニティグループをいくつもフォローしている。しかし昨秋ごろから反移民の動きが村にも入り込み、心をえぐるような投稿が目に入るようになった。怒り、不安、恐怖。その感情に引きずられるように、イギリスへの移民のひとりである私は画面に張り付いてしまったのだと思う。
ソーシャルメディアからログアウトして過ごしたこの1カ月半は、「現実を見なかった」期間でもあったかもしれない。けれど、それは自分の心が揺さぶられすぎないために「見る・見ない」を選ぶことができた期間でもあった。結果として、村ともっと穏やかな関係を築ける自分でいられることにも気づいた。
問題は言葉そのものではなく……
インスタグラムやスレッズにも、今振り返ると「勇気づけ」や「前向き」を装った言葉がたくさんあった。
「あなたの価値を認めない人とは離れなさい」
「今まで気を使ってきた人にもう無理して合わせる必要はない」
一見すると、とても正しく、心を守ってくれそうなメッセージだ。
けれど私は、こうした言葉を見るたびに、無意識のうちに「自分にとっては誰のことだろう?」と考えてしまっていた。特定の誰かを思い浮かべ、当てはめ、必要のない感情を自分の中に呼び込んでいたのだと思う。そのことに気づいたとき、私はようやく理解した。問題は言葉そのものではなく、それに過敏に反応してしまう自分の状態だったのだ。
そして今、年が明けて忙しかった日々が少しずつ終わり、だんだん「いつもの日常」に向かいつつある。2026年の始まりに、私は問い直す。あの頃のように1日3〜4時間もソーシャルメディアに没頭する自分に戻りたいか、と。
答えは、NOだ。 でも、ソーシャルメディアは好き。だから切り捨てるつもりはないが、「いい距離」で、時間を決めて与えたい。そして感情を強く揺さぶられるものは、それがどれだけ正しそうに見えても、どれだけポジティブを謳っていても、そっと距離を取取る。
これは逃げではなく、自分を守る「選択」だと思う。











