
九州出身で英国在住歴23年、42歳で二児の母、金髪80キロという規格外の日本人マルチメディアアーティスト大渕園子が、どうすれば自分らしい40代を生きられるかを探してもがく痛快コラム。40代はあと8年。果たしてそれは見つかるのか?!
楽しい旅を一変させた1本の電話
私の親友はシリア出身のイギリス人。私より5歳年下だが、お互いの子どもの年齢が同じなので、ロンドンの小学校に子どもたちが入学した頃に出会って以来10数年、ずっと仲良くしている。
私がロンドンからイギリス北部に引っ越してからは年に2度、お互いの誕生日にヨーロッパのどこかで落ち合う「バースデー旅行」が恒例になった。年に2度の海外旅行と聞くと相当高額に聞こえるだろうが、私の家からLCC(格安航空会社)でヨーロッパに飛ぶよりも、ロンドンへ行く列車代のほうが高いことも多い。だから自然とそんな旅のスタイルが定着した。
今年の6月、私の誕生日旅行にはスペイン南部の町、マラガを選んだ。青い空と海を求めて飛び立った私たちは、到着から二日間、観光とおしゃべりに笑いが絶えず、まさに心の洗濯をするような時間を過ごした。ところが三日目の昼、海辺でのんびりしていたとき、彼女の携帯が鳴った。電話の相手はシリアで暮らす彼女のお姉さんだった。
「地元の教会が自爆テロに遭った。死者も多数、負傷者も多いらしい」
その一報が、旅の空気を一変させた。
彼女は震える手で家族や親戚に次々と電話をかけた。無事が確認できた両親は自爆テロが起きる数時間前にその教会を訪れていたという。両親は生きていると分かった安堵と間一髪だったという恐怖が入り混じった彼女の表情は揺れていた。
「ごめんね、こんな時に……せっかくの旅行中なのに」
こんな状況の中でもそう気を遣う彼女の様子を見て私は胸が張り裂けそうだった。現在、シリアには海外から直接入国できる空港がなく、唯一の方法は隣国レバノンから陸路で入る手段だ。しかし女性ひとりでは命の危険が伴い、ましてやシリア国籍を持たない夫やイギリス人の子どもたちを連れて帰ることなど到底できない。家族からも強く止められ、彼女は現在シリアへ帰ることはできない。
私にできるのは、ただ彼女のそばにいることだけ。「旅を続けたい」と彼女が言ってくれたので、予定していた田舎町を訪れたり、浜辺を歩いたりしながら、少しでも心が和らぐように過ごした。
異なる暮らし、異なる死生観
旅をしている間に彼女のお姉さんから何度か電話が入った。2011年から続く内戦を見届けてきたシリア在住の彼女の言葉には重みがあった。今回のテロで友達一家、夫婦と子ども3人の5人家族が命を落としたという。けれど、お姉さんは静かにこう言った。
「すごく哀しいけれど、5人全員で逝けてよかったのかもしれない。1人でも残っていたら、その人生のほうがきっと辛かった」
17歳でイギリスに嫁いできたため、人生の半分以上をシリアから離れて過ごしている私の親友にとって、お姉さんのこの言葉は衝撃的だった。同じ家族でも住む場所が違うと、こんなにも死生観が変わるのか……。お姉さんがそう言わざるを得ない状況で暮らしていると思うと胸が詰まった。
今この瞬間を生きると決める
親友は時折涙をこぼしながらも、太陽の光を全身で受け止めるようにして旅を楽しもうとしていた。旅を途中でやめてしまえば、ここで経験できるはずのかけがえのない時間は永遠に失われてしまう。だから彼女は自らの意思で、「今この瞬間を生きる」と決めたのだ。その姿に私は深く心を動かされた。悲しみを抱えながらも目の前の時間を大切にしようとする彼女は凄みがあり、女神のように美しかった。
最終日の夜、私たちはフラメンコのコンサートを観に行った。命を削るような情熱で踊る女性ダンサーを観ながら、私たちは気づけば涙を流していた。もともとフラメンコはジプシーたちが生活のために、貧しさや苦しさを伝える手段として祭りや酒場で歌い踊ったのが始まりだという。ダンサーの全身からあふれ出すエネルギーには、まさにその原点が宿っていた。悲しみ、怒り、そしてそれを超えた「生きる力」。私たちは確かにそれを受け取った気がした。
いろんなことがあった旅だった。けれど私は思う。苦しみや葛藤に満ちた人生の中でも、「今この瞬間を生きる」と決めること。それ自体が希望なのだ。それは簡単な選択ではない。だからこそ、そこにこそ人間の尊さがあるのだと思う。
彼女と過ごしたスペイン・マラガの旅は、私にそれを教えてくれた。
