
他人も自分も「裁かない」ことの大切さ
前回は「思い込みを手放そう」ということについて、お話をしました。今回は、思い込みの果て、他人のことも自分のことも無意識のうちに「裁いてしまう」ことの危険性について、お話をしようと思います。
この「裁いてしまう」という行為は、何かが上手くいかなくなると起こりがちな「やっかいなもの」です。そんな時こそ、「自分のこころ」に注視する必要があります。物事がうまく進まなくなると人は不安、恐怖、怒りなどにかられてしまい、冷静さを失いがちに。そんな状況に陥れば当然、人はこころに余裕がなくなってしまいます。そうなると、やらかしてしまうのが、しょうもない「犯人捜し」です。
✔ 私が悪かったんだ
✔ こんなことになったのは、あいつのせいだ
✔ 彼さえXXXをしなければ、こんなことにならなかったはずだ
はい、これらは全部「禁止」です(笑)。これらの考えは、どれも生産的な解決を生むものではないからです。
問題解決と犯人捜しをすり替えてはいけない
もちろん世の中には「犯人捜し」をしなければならない場面もあります。殺人や窃盗などは許されないですし、そんな時は徹底的に犯人を捜し出して、その犯人を裁く必要もあるでしょう。しかし世の中で起こるほとんどの問題は、そうしたケースには当たりません。
何か問題が起こった際に、本来すべきことは「問題の解決」です。自分が悪い、相手が悪い、誰かが悪いということに捉えられ過ぎてしまうと、肝心の問題は置き去りにされがちになります。誰かが悪者になることで、一瞬、気持ちが楽になることもあるでしょう。しかし問題解決がなされず、ずっと問題を引きずるようなことになっては意味がありませんよね? ですから、自分の心の中で犯人探しが始まったら、心して「問題の根本」に意識を戻してみましょう。そのほうが、ずっと健全な問題解決が可能になるはずです。
それでも「誰かが悪い」、「自分が悪かったんだ」と思うようなことがある場合は、次の自問自答をするようにしましょう。
「その相手(あるいは自分自身)を裁くことで、得られるものは何だろう?」
恐らくこの自問自答を繰り返すうちに、誰かを責めても得られるものは、ほとんどないことに気づくはず。自分を含む誰かを責め立てたい気持ちになったら、是非これを試してみてください。
人はそもそも、みな「間違える」
そもそも人は生きていれば、あらゆることを間違え続けるものなのです。間違えて失敗し、反省し、立ち上がるという反復を繰り返しながら、真に強くなれるのだと思います。もちろん誰だって、余計な間違いなど犯したくない本音はあるでしょう。しかし、何も間違いを起こさず、人生を歩くことなど不可能に近いわけです。何か問題が生じた時に「間違いは仕方ない。しかし今、目の前にある問題にどう向き合うか」という態度をどうか常に心がけてください。
そして、みなさんが人生で多くの間違いを犯すように、みなさんの目の前にいるすべての人も間違いを経験しているという事実にも、気づいて欲しいと思います。先にも書きましたが、「間違いは仕方ない」のです。ときには、その間違いによって人生が大きく狂ってしまうこともあるかもしれまえんが、それでも自分のせい、他人のせい、とその問題をすり替えるのはやめましょう。真摯に問題に向き合い、「自分なりの問題解決ができた感」が得られなければ、解決されない問題はずっと後を引きます。
また、問題解決というのは、必ずしも「問題が完全になくなる」ことを目指すものではありません。真の問題解決とは、たとえつまづいたとしても、間違えた経験を糧に何度でも立ち上がることで、出来る力をつけていくことに他なりません。ちょっと難しいようにも聞こえるかもしれませんが、間違ってしまう自分や相手を裁かないためにも、このあたり、ちょっと意識していただければ嬉しいです。
