アメリカで一人前に生きていけるように

こんな小さな町から出たい!

 はじめまして。アメリカ在住歴が20年を超えてしまった坂東汰美(さとうたみ)です。

 こちらではタミーと呼ばれていますが、生まれも育ちも日本の小さな地方都市です。幼少の頃の自分を知っている人たちばかりが住む町では、当たり前の日常が当たり前に過ぎていく……。そんな周囲をみながら、子供ながらに「きっと自分もこうなっていくのだろうな」という漠然としたものと、「私はここから出て違うことをしてみたいな」という思いが募っていきました。だから大学に進学するなら、北海道か沖縄に行こうと決めていました。できる限り遠くに行ってみたい、と。

 外に出たいという強い思いが通じてか、幸運にも私はアメリカの大学に行けることになりました。英語力がなかったので、まずは大学付属の外国人英語クラス(ESL)へ入学。英語クラスだからなのか、書類やビザ手続きなどのプロセスはあっけないほど簡単でした。その英語クラスを完了した後、大学に入学しました。

 最初は英語を話せなかったので、時計代わりに毎日テレビはつけっぱなし。映画を週に3〜4回は観に行くような生活を心がけましたが、周囲のテンポやリアクションについていけずに悔しい思いをしていました。でも1年半が過ぎたころ、突然、周囲の英語がわかるようになったのは本当に不思議でした。

 それからはクラスメイトの言葉を真似たり、アルバイトをしたり、話す機会をできるだけ多く作りました。今思うと東部だの南部だの、各地のアクセントを取り入れてしゃべる変な外国人だったと思います。大学では将来の夢も分からず、好きな教科ばかりを取り続けたので、ESLを含めると卒業単位が認められるまで4年半という長い月日が過ぎてしまいました。

 でも、クラスメートの多くは最短で卒業できる取得単位を計算しながら平均3年間でサクサク卒業していきました。最短で卒業するのは、就職先を最優先に考えていたからで、皆インターンもしっかり経験していたようでした。インターンという言葉すら知らずに大学生活を送っていた私はと言えば、日本の小さな町から出られたことの喜びと慢性の睡眠不足からくるハイテンションとで、ただただ舞い上がっていたように思います。卒業した頃に就職氷河期がきたのはアメリカ生活で最初の大試練でしたが、就職を考えた前提での大学生活を送らなかったのですから、当然の報いだったのかもしれません。

なんとしても、アメリカで働きたい

 アメリカの大学を無事卒業して、新卒で受けた雇用面接で、面接官から「君は経験がないからダメだね」と言われるとは、夢にも思っていませんでした。「在学中に一体、どうやって仕事の経験を積むっていうのよ!?」と憤りを覚えましたが、アメリカではほとんどの大学生が在学中にインターンシップをして就業経験を積むと知り、衝撃をうけたのを覚えています。当時は知る由もありませんでしたが、「募集欄に書かれている職務内容をこなすことが今までの経歴では出来てきたか?」がカギとなり、必然的に経験がある人材が重宝されるからです。

 でも、インターン経験がまったくない私のような新卒にも機会は訪れるもので、面接をいくつか受けているうちに就職が決まりました。通学路よりも近くて気分転換もままならない距離の、車で家から10分ほどの小さな職場。その会社では就労ビザの手続きがうまくいかず、1年後に退社することとなりましたが、人事部のディレクターには「あなたはそもそも自国に帰るべきだと思う」なんて言われました。酷いなあと思いつつも、ブラック企業の最先端をいくような職場だったので、理由はともあれ、そこから抜け出せたのは嬉しかったです。

 次に就職したのはスタートアップの会社で、雇用された日は大晦日でした。「アメリカで働いてみたい!」という思いがやっと叶ったように思えた瞬間でした。この会社で過ごした数年間の経験は、多岐にわたり、その後の人生で役に立っています。スタートアップの醍醐味ともいえるように毎年売り上げが2倍になっていきましたが、社長が大所帯を管理できなくなって貴重な人材が去ってしまい、ビジネスは徐々に衰退していきました。ビジネスの衰退は、私が漠然と考えていたよりも、ずっとスピードが速くて驚きました。

 元ダンナさまと会ったのはちょうどこの時期です。衰退していく会社から逃れたい思いと、出会った彼のビジネスを一緒にやりたいという気持ちと、なりゆきとが重なって籍をいれましたが、数年経って離婚することになりました。

アメリカで一人前に生きていけるようになりたい

 アメリカ生活は、「自身の気持ち次第でどうにでもなる」と感じることがよくあります。

 それは人生や日々の生活における選択肢が、とても多いからではないでしょうか。例えばこの国では年齢や性別、住んでいる場所、家族構成などの社会的プレッシャーが少ないことが基になっており、離婚も然りです。

 時間がないと物事を後回しにすることがありますが、もし、危機的状況下に置かれていたらどうでしょう? 一刻も早く解決するために頭をフル回転させますよね。アメリカ生活では、いろんな意味である種の危機的状況下に陥ることが日本の生活より多いので、それも「自分次第で結果に大きな差が出る」ことに繋がっているように思います。

 私の場合、離婚したときにはお金がゼロ。友人から借金をし、別の友人の家で数カ月居候させてもらいながら、急いで就職しないといけませんでした。当時は自分に対する自信(Self Esteem)がすっかりなくなっていましたが、履歴書を作成・送付後は運よく1週間で仕事が見つかりました。詐欺師かと思うくらい自己アピールをしていた自分自身にも驚きましたが、危機的状況下における強い想いは人に通じやすいと思います。

 ただ、就職先が早く見つかったのには理由がありました。あまりにも簡単に「何か」が動くときは、たいてい「何か」があるものです。そう、そこはまた新たなブラック企業でした。「離婚から立ち直っていないから、ネガティブなものを引き寄せているのかしら」、「ああ、きっとそうに違いない」などと自問し続けました。しかも、こんなときほど直感が冴えわたり、上司の挙動の怪しさなども気になって、頭の中では警鐘が鳴り響いていました。でも、毎月の収入には代えられない。生きなくてはいけない。早く一人前の大人になりたい、ならなければ……。とりあえず社会人としての生活を始める必要に迫られ、半ば諦めながら人生の再出発を心に誓った夏のことを今でもはっきりと覚えています。

 不思議と、そのブラック#2企業を辞めてからの人生は落ち着いてきています。おそらく「危ないことに近づかない感覚」が長いアメリカ生活の中で身についてきたからだろうと思っています。この国でひとりで生活するには、この「危ないことに近づかないようにする感覚」というのはとても重要です。この連載では、そんなお話もできたらと思っています。

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