「愛ゆえに」という行動について

愛が起こす、「矛盾」や「すれ違い」

 「愛」とは、言葉でその概念を説明することが難しいものです。愛は温かさであり、思いやりであり、憎しみだったりすることもあります。愛が憎しみなんて言うと「え?」と言われそうですが、実際にそういうものだと思うのです。

 そもそも、解釈によっては「愛」ほど、複雑な混乱を起こすものはないのかもしれません。愛で繋がったはずの人たちが、信じられないくらい人間関係を複雑にしてしまうことも、愛し合っているはずの夫婦が憎み合うことも、そのはじまりはすべて「愛」です。愛で繋がっているはずの家族が何かのきっかけにバラバラになる、愛していた人が二度と顔を見たくない人になってしまったなどなど、愛が起こす矛盾やすれ違いは数えだしたらキリがありません。

 「信頼しているからこそ、言葉にしなかった」とか、
 「忙しそうだから、気を遣って黙っていた」とか、
 「大事にしたい人だから、いつも以上に慎重にした」

 もしかしたら世の中にある、そんなあらゆる種類の「愛」ゆえの行動が、何かの歯車を狂わせてしまうのかもしれません。そう、人がこじれてしまう原因もまた「愛」だったりすることは、少なくないと思うのです。何とも皮肉ですが、こうしたすれ違いも含めた愛を学ぶことが、真に人生を味わう醍醐味なのかもしれませんね。

ほどける「結び目」を切る必要はない

 世の中には「よかれ」と思ったことが空回りして、上手くいかなくなることがあります。相手を思いやるからこそ口にしなかった「一言」のために、永遠にこじれてしまう関係もあります。ギクシャクして、しっくりいかなくなって、悲しくなったり、怒りを覚えたり。

 よくよく話を聞いてみれば、その原因は「愛ゆえ」のことなのに、「その人」との関係を、プツンと関係を切ってしまう。そういうことって結構多いのではないでしょうか?

 みなさんが大切な誰かとの関係にこじれてしまい、苦しんで、悲しい思いにあるとき、ちょっと一呼吸おいてから、考えてみてほしいことがあります。それは「こじれてしまった結び目は、解けるのではないですか?」ということです。切ったらおしまい、けれど解けばずっと繋がっていられる……そこには大きな違いが生まれます。

 人は誰も完璧ではありませんが、ほどけるはずの結び目を切ってしまい、後悔することもあるかもしれません。あるいは、切ってしまった結び目のことは、見て見ぬふりをしているというケースもあるでしょう。けれど、いずれの場合もちゃんと相手に向かい合わなかったら、「結び目を切ってしまった」という記憶は残ります。その記憶を上手に昇華出来ればよいでしょうが、そうではない場合も多くあります。

 「ほどけるはずの結び目は、切らないほうがいい」。これが私が自分が経験した痛みによって得た結論です。

ありがとう、ごめんなさい。遠くから心の中で伝える

 私にも「もう二度と会うことはないだろうな」と思うような、今でも大事な人がいます。人生のある一定期間、一緒にさまざまな挑戦をした人です。一度は再び繋がろうと連絡をとってみたのですが、その方は私との人間関係回復に興味を持ちませんでした。とても残念ですが人の心はコントロールしようがないので、彼女の思いを受け止めることが、私にできる最善でした。

 彼女と一緒に行えた挑戦は、私の人生の大きな宝物です。今でも彼女にはとても感謝しています。再度コンタクトした時に扉は閉ざされてしまった感はありますが、私がその時に感じた感情や思いもまた、大きな学びとなっています。

 場合によっては私のように、切れた結び目を繋ごうとしても上手くいかない場合も多いと思います。けれど、そんな時でも心の中で「ありがとう」や「ごめんなさい」を言うことは可能です。また、どちらも最善を尽くそうとした結果、上手くいかなくなった関係であれば、扉を閉ざした相手を責めることも、自分を責めることも必要ないとも感じます。自分自身が逆に扉を閉ざしてしまうこともあるとは思いますが、「そうするしか出来ない」自分を許すことも、必要なのだと感じます。

 しかし、まだ二人が繋がっているのであれば、どうか「結び目を切る」という解決をする前に、立ち止まって欲しいとは、やはり思います。結果的に結び目を切る選択をしたとしても、あえてそうして欲しいのです。自分のためにも、相手のためにも。

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