義理チョコに見る、日本とアメリカの違い

日本独特なバレンタインデー文化

 こんにちは、ランサムはなです。2月といえば、バレンタインデー(Valentin’s’ Day)。アメリカでもスーパーマーケットやドラッグストアなどで既にチョコレート商戦が始まっています。

 スーパーは専門店ではありませんから、30ドルを超えるような商品はほとんど見かけませんが、ハート型の箱に入っていたり、ピンクや赤のラッピングが施されていたり、バラやチューリップの造花やぬいぐるみが箱に添えられていたりと、お手頃価格な割にはいろいろと工夫が凝らされていてかわいいです。日本のデパートほど大がかりではありませんが、特設コーナーを設けている店もあります。

 ひと昔前までは、アメリカのチョコレートは欧州のそれに比べると甘ったるい庶民のお菓子という感じが否めませんでしたが、最近はゴディバやギラデリなどの高級ブランドをスーパーで見かけることも増えました。アメリカ人も舌が肥えてきたのかもしれませんね。

 以前、アメリカの大学でアメリカ人に日本語を教えていた時、「日本では、バレンタインデーは女性が男性に告白する日。男性は女性からチョコレートを受け取るだけで、3月14日のホワイトデーにクッキーやホワイトチョコレートでお返しをするのよ」と説明すると、学生たちは目を丸くして話を聞いていました。

 アメリカのバレンタインデーは男性が女性に告白をしても一向に差し支えなく、ホワイトデーという行事は存在しません。頂いたものに対して「お返し」をしなければいけない日を設けるのは、律儀な日本ならでは。「お返し」の習慣がないアメリカ人の中には、堅苦しく感じる人もいるかもしれません。また、アメリカではLGBTQの存在感も大きいので、日本の基準で「女性」、「男性」の線引きをしたら、「性差別」としてクレームがつきそうです。前回のクリスマスの話と同様、バレンタインデーの習慣も日本とアメリカではかなり異なるのです。

本命チョコとか、義理チョコとか……

 これまでも書いていますが、私は料理に関して大の苦手意識があるため、正直なところ日本に住んでいた頃はバレンタインデーが苦手でした。手作りチョコを贈る女性に対して引け目を感じていたからです。バレンタインデーは女子力の高い女子にとっては素晴らしい自己PRの機会かもしれませんが、いわゆる「女子力」の低い私のような不器用な人間にとっては気が重くなる恒例行事でした。

 それでも日本に住んでいた時は、本命チョコとか義理チョコとかを学校や職場で周囲にいる男性全員に行き渡るように気を配ってはいました。当時は不二家のハート型のピーナッツチョコレートが安くて美味しかったので、何枚買ったか覚えていないほど大量に買い込んで配ったこともあります。毎年同じものをプレゼントして手抜きと思われるのも嫌だったので、誰に何をあげたかを記録しておき、翌年には予算の範囲内で違うメーカーのチョコレートを探したりもしました手作りのチョコを送れない分、せめて心配りで他の女性に負けないようにしようと思っていましたが、大量にチョコレートを買い込んでいると、海外旅行に行った時に職場の関係者全員のお土産を買っている時のような妙な義務感を覚えることもありました。

 バレンタインデーは、好意を寄せている人へ純粋に気持ちを伝える日であるはずなのに、周囲の女性と自分を比較したり、みんなが気を悪くすることがないようにと気を配ったりと、本来の主旨よりも他のことを心配していることが多かったと思います。失礼のないように全員にチョコを配り終えたことを確認し、バレンタインデーが終わると肩の荷が下りるような安堵感……。これでは本末転倒ですよね。

「みんな」という概念

 今思い返すと、日本にいた時は常に「みんな」という概念に怯えていたような気がします。「みんなに嫌われないように」、「みんなに喜んでもらえるように」、「みんなに認めてもらえるように」、「みんなはどう思うかしら」……。日本を離れて冷静になって振り返ってみると、あんなに頭から離れなかった「みんな」というのは、一体誰だったのだろうと思います。

 「みんな」というのは、私の中では漠然とした、顔のない人々の集団でした。「お天道様が見ている」という言葉がありますが、私にとっては「お天道様」というよりも、「みんな」の視線が怖かったです。「みんな」は遠くにそびえている入道雲のようで、近づこうとすると見えなくなります。顔が見えるようになると、「みんな」は「○○さん」という個人に変わるため、私の中の「みんな」はいなくなる……。「みんな」は私にとって得体の知れない、つかみどころのないおばけのような存在でした。

 アメリカに引っ越してからは、「私という人間は何をしたいのだろう?」と考える時間が増え、日本にいた時のように「みんな」の顔色を気にすることはほぼなくなりました。アメリカのような移民社会には、様々な人種や背景の人がいるので、「みんな」と一口に言っても、まとまった集団を思い浮かべることはできません。万人が同じ意見を持つことも、万人を喜ばせることも不可能なので、「みんな」から「様々な人」という認識に変わったように思います。

 こう考えていくと、「みんな」ではなく「様々な人」の集団であるアメリカのバレンタインデーに「義理チョコ」の概念がないのも納得できます。アメリカ人に「義理チョコよ」と言ってチョコをあげたら、不可解な顔をされることでしょう。その意味を説明したとしても、周囲の人々をひとまとめにすること自体が不自然なので、どの程度理解してもらえるかわかりません。なかには、好きでもないのにチョコレートをもらうのは、お情けをかけられているようで失礼だと感じる人もいるかもしれません。

 「義理チョコって、日本的概念だよなあ」と思いながら、改めて今、「みんな」って一体、何だったんだろう、と思いを巡らせています。

ランサムはなのワンポイント英語レッスン

「義理チョコ」を無理に英語に訳してみたら

 英語圏に存在しない「義理チョコ」を、あえて英語に訳すとどうなるか?と思ってネットで検索してみたところ、「Obligatory chocolate」、「Courtesy chocolate」という「直訳」的な英語が見つかりました。日本語に訳し直すと「義務チョコ」、「礼儀(サービス)チョコ」のようなニュアンスとなり、間違いとは言えませんが身も蓋もない印象です。このような場合は、あえて直訳せずに、「日頃の感謝の印 (Thank you gift)」程度に留めておくほうが、お相手には失礼がないでしょう。

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