「ご家族は?」と聞かれると固まってしまう件

私が巨岩石になる理由

 こんにちは。ロサンゼルス在住のアラフィフなバツイチ、凛子です。

 実は最近になって、ようやく自分から進んで「私、バツイチなんです」と言えるようになりました(祝)。べつに誰かから、ちゃんとそう言った方がいいよと助言されたわけでもないし、周囲に自分の離婚を発表してまわらなきゃいけないというプレッシャーを感じたわけではありません。でも、全然それが口に出せない時期が軽く1年以上は続いておりました。

 たぶん、私は何かに「負けた」とか、あんなに頑張ってきたのに「人生の負け組になっちゃった」みたいに感じていたからだと思うんです。「なんで、私だけこんな目に逢うの?」みたいに。

 だから、仕事とかでちょこっと会ったような知らない人から、不意打ちに「凛子さん、ご家族は?」とか、「ところで、お子さんは?」と聞かれると、瞬時にして巨岩石か墓石のように固まってしまうわけです。「あぅあぅ…」と漫画のように狼狽えて。他人から不意に投げられるたった一言で、そこまで激しく動揺してしまう自分って「本当に小さい奴だ」って思うのだけど、べつに好きで固まるわけじゃないから、「じゃあ、今日は固まらないってことで」ってわけにもいかず(汗)。だから離婚後からずっと、かなり頻繁に巨岩石化しながら過ごしていました。

被害妄想は膨らむばかり

 しかも、私が巨岩石になってしまうと、当然そのあとの会話も瞬間冷凍化するので、その冷え切った雰囲気に飲まれて「人々は私から距離を取ろうとしている」という妄想さえするようになるわけです(怖)。

 これはもちろん、私自身が離婚したことを過剰に気にしているから、身体が岩反応を起こすんですが、実は他人は私のことなんて、そこまで気にしていないんですよね。でも渦中にいると、それが分からず、みんなが自分を気の毒だとか可哀想だと思っているような気がしたり、なんだか残念な人だと思われているんじゃないかとか考えてしまい、ひとりドラマクイーンと化すのです。

 そうそう、妙齢女性を対象としたネット記事なんかで、「離婚したことをバツイチと呼んだり、バツ印で考えちゃダメ。自分で自分をネガティブにしてしまっていますよ。人生経験が豊かだって考えて!未来はあなた次第で変えらます!」的なポジティブでキラキラした記事を目にすると、「ケッ、何言ってんの? 旦那の収入で生活してるような奴に、孤独な中年女の何がわかるっていうのよ」などと、勝手に相手の家庭環境まで設定してムカつくほど、毎日いじけておりました。

他人のことなんて、実はあまり気にしていない現実

 そんな生活を続けているうちにコロナ禍になり、アメリカ西海岸の強化ロックダウンによって誰とも会えず仕事も完全リモート、買い物もオンラインのみという、それまでとは180度異なる世界がやってきたんです。

 で、人生とは面白いもんで、このコロナ禍が自意識過剰な私に社会の現実を見せつけてくれました

 それまで割と友達は多い方だと思っていたのだけれど、周囲は家族やパートナーのいる友人知人や同僚ばかりで、ロックダウン下で完全なソロ生活を送っている人なんて自分以外にいなかったんですね。家族がいたって、みんなもコロナ禍でいろいろ大変だし、この1年間で私が孤独死をするかもしれないと気遣ってわざわざ電話をくれたのは数人だけでした。そもそもロックダウン中に孤独生活を送っている中年女と話すなんて、あまり楽しいことではないですから、相当強い精神力の人でないと電話はきつかったと思います、しかも寂しいから長電話になっちゃうし(苦笑)。SNSだって元来「ポジティブな様子だけを見せるツール」だから(まったく嫌味な女だな、アタシ)、落ち込んでいるときには使えないんで、ますます人との接触が減っていって……。

 でもだからこそ、ようやく気づいたんです。「血の繋がりもない他人のことなんて、実際、誰も気にしちゃいないんだな」ってことに。みんな自分のことで忙しいのよ、ほんと。

 当然、それに気づいたときは海より深く落ち込んだけれど、とにかく時間だけはたくさんあったから、毎日せっせと外を歩いたり、浮世離れした本を読んだりして、時間をかけてじわじわと水面への浮上を目指し、やっとプハーッ!と息をつけたんですよね。そのときの爽快感というか、突き抜け感みたいなものは、同時に呆気なかったいうか「何やってたんだ、アタシ?」という感覚に近いかった気もします。

 つまり何が言いたいかというと、私が離婚したことや、子供がいないことをどれほど悩んでいるかなんて、そういう状況にいない人たちにはわかるはずがないし、そもそも最初から興味すらない話題かもしれないわけですよ。子供がいない私が、幼稚園のお受験の話に夢中になれないのと同様に。

 そんな基本的なことに気づいたら、いろいろ自分が拘っていたことは全部、私自身の過剰な自意識であって、他人はそんなことは全然気にしてないことがわかったわけ。だからこそ他人は、満面の笑顔で私に「凛子さん、ご家族は?」とか、「お子さんは?」と切り込んでくるわけです。こっちの気持ちがまったくわからないから、悪気なんてこれっぽちもない。傷つけようともまったく思っていないし、上から目線で私のことを見ているわけでもない。でも聞いちゃうんですよね、ただ単にディフォルト設定が違うから。

 アラフィフになって、ようやくこんな社会の基本的なことに気づくなんて、本当にバカだなあと思いました。でも、これに気づけてからは、相手にどう思われるかなんて気にせず、「私、バツイチです」と口に出せるようになりました。

 誰も他人のことをそこまで気にしていないという事実は、見方を変えると今の世の中を表しているようで悲しいことです。でも、こと私の離婚子なし孤独問題に関しては、誰も他人のそんな大事なことに構っていられるほど暇じゃないんだってことに気づけたのは大発見で(呆)、じゃあ「それなら、この世界の中でアタシはどう生きていこう?」と、次の一歩について考えるようになれました。だから、この気づきがなんだか妙に嬉しくて(大阿呆)、今回はこのことについて書いてしまったわけです。

 すっかり話が横道に逸れちゃいましたが、次回からは再び「どうやって外国人の夫と日本人の私が離婚できたのか」という話に戻しますね。みなさま、よい1日を。

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