尼寺からの旅立ち、創作家の道へ(まっちゃん後編)

尼寺と出会い、そこで学んだこと

 本誌で『まっちゃんの暦あそび』を好評連載中のなごみ創作家、まっちゃん。作家デビューとなった書籍尼寺のおてつだいさんは、皆さまのサポートのおかげで重版もされました(祝)。

 とはいえ、作家としては遅咲きのまっちゃん。どのような人生を辿って、この本の出版に至ったのでしょうか。「尼寺からの旅立ち、創作家の道へ(前編)」に続き、後編では「どのような経緯で、尼寺で働くようになったのか」、「尼寺で何を学んだのか」、そして、なごみ創作家として歩み出したこれからについてお話を伺いました。

尼寺で引きこもりからのリハビリ

―前編では、引きこもりだった時期があった話が出ましたが、笑顔が印象的な今のまっちゃんを見ていると、そんな時期があったとは正直、想像しがたいです。

「バックパッカーで40カ国も旅していた私が、引きこもりだったと言っても、にわかには信じてもらえないかも知れません。留学の時も短期バイトの時も、引きこもるきっかけになったのは、人間関係が上手くいかなかったのが原因でした。引きこもりの間は何もしたくなくなるんです。実家に居ても、食事は1人でしていました。」

―引きこもり生活から抜け出したいと思っていた頃、尼寺の副住職だった慈瞳さんと出会ったのですね?

「はい、心を落ち着かせたいと通っていた瞑想センターに慈瞳さんも来ていて、最初はお祭りの手伝いでお寺に誘ってくれて、2年くらいお寺に通うようになりましたが、その後もバイトの人間関係が上手くいかずに引きこもったりして……。そんな私をわかっていて電話をくれたのが慈瞳さんなんです。」

―副住職と出会って、お寺に住み込むことを決めたのですか?

「お寺では、初めから住み込みで働いていたわけではありません。お祭りの手伝いに行って、その次は年末年始の年越しに行って、だんだんと1年の半分くらいをお寺で過ごすようになりました。お寺の生活は何もかもが初めてのことばかりだから新鮮で、お寺にいる時間がどんどん楽しくなっていきました。」

―なるほど。少しずつお寺との距離を縮めて行ったのですね。

「当時を知るお寺の信者さんたちからは、まっちゃんは人が来ると逃げていたとか、人とあまり話さなかったと言われます(苦笑)。でも、私はその頃のことを、あまりよく憶えていないんですよね。お寺に行くまでは、ずっと引きこもっていたから最初は体力的にしんどかったけど、忙しくて鬱々と考える時間が減っていきました。それに、みんながまっちゃんまっちゃんって話しかけてくれるのがすごく嬉しくて、だんだんと心がほぐれていったんだと思います。」

尼寺からの旅立ち、創作家の道へ(前編)はこちら

NHK『やまと尼寺 精進日記』に出演したこと

―今でも日本や海外で再放送が続く人気番組、NHKの『やまと尼寺精進日記』。四季折々の食材を頂いたり、自然を愛でたりと、心が和む番組ですが、テレビに出演するというのは、内気なまっちゃんにとってはハードルが高かったのでは?

「テレビに出ると聞いて驚いたし、最初はカメラの前ですごく緊張していました。でも、撮影スタッフさんがみんな和気あいあいで楽しかったから、すぐに慣れました(笑)。まるで ホームビデオで撮られているような感じだねって、よくみんなで言ってました。」

―自分たちの生活がテレビを通して全国に放送されているという実感はありましたか?

「テレビで全国に流れているという感覚は、最後までなかったですね。お寺を下山してから始めたSNSをたくさんの人がフォローしてくれて、テレビの影響力ってスゴイんだなって、改めて認識したくらいです。放送がある時は、ちょうど6時の鐘をつく頃なので、観られない時はビデオに録って、それをご住職や慈瞳さんとみんなで2回続けて見て、笑ってました。“自分はこんなこと言ってたんや”と番組を見て初めて気づいたこともあるし、“あの場面カットされてたなぁ……”と、ちょっとドキドキしたり(笑)。自分のことだと認識しつつも、どこか客観的に観てましたね。」

お寺でも絵を描き続けていた

―お寺でも、いろんな絵を描いていたんですよね?

「お寺では慈瞳さんから、絵を描いてって頼まれることが多くて、ポスターやお祭りののぼり、販売するジャムのラベルやはちみつのポップ、観音帖というノートなど、いろいろ描きましたね。慈瞳さんがアイデアを出したものを、私が形にするという感じでした。慈瞳さんはとても発想が豊かで、いつも感心するんですけど、慈瞳さんはご住職さんのことを、自分にはない発想がある。感性から出てくるアイデアがスゴイって言っていました。私からしたら2人とも凡人ではないですけどね(笑)」

花まつりの「のぼり」。まっちゃん作

―その頃に、4コマ漫画を描き始めたのですか?

「4コマ漫画はお寺に居る頃から落書きみたいに勝手に描いていて、描いたものをご住職さんや慈瞳さんに見せると笑っていました。慈瞳さんは私に、自分の体験を書き留めておいて本を出したらいいってずっと言ってくれていたのですが、お手伝いをしていた時は、お寺の仕事で精一杯で、余裕がありませんでした。私は2つのことを同時にやるのが得意じゃないんです。それでも、頼まれて絵を描いている時や、好きな消しゴムはんこを作っている時は、やっぱり嬉しかったです。」

尼寺からの旅立ち、創作家の道へ(前編)はこちら

下山を決意した理由

7年間も楽しく生活していたのに、下山を決めたのはなぜですか?

「お寺での生活は大変なこともたくさんありましたけど、みんなでワイワイ暮らしたのは、とても楽しい時間でした。でも、ずっと心のどこかで、この先、楽しいだけではいられないなと思っていました。いつまでも両親が元気でいられるわけではないし、ずっとお寺に奉仕していく生活は難しいだろうなぁと考えていたんです。どこかの時点で、それは決めなければならないと。」

―そして下山を決めたとき、どんなお気持ちでしたか?

「感謝、です。尼寺にいた7年間があったから、また笑えるようにもなったし、楽しい番組にも出演させて貰ったし、本を出すチャンスも頂けました。尼寺の経験は、私の人生の中で間違いなくかけがえのないものでした。本当に感謝しています。」

『尼寺のおてつだいさん』に込めた想い

―初めて出版する本をどんな想いで描いたのでしょうか?

「下山して、尼寺生活の7年間を思い出しながら4コマ漫画を描く時間は、ひとつひとつの思い出が愛おしくて、すべてのことに感謝できるようになったし、振り返って描くことで自分の気持ちを整理することができました。ありがたいことに本を出版することが決まって、それからは初めてのことで大変でしたけど、自分がまず楽しいと思えるものを作らないとみなさんに楽しんで貰えないと思って頑張って描きました。」

『尼寺のおてつだいさん』を手にするまっちゃん。
デビュー本を手にして感激するまっちゃん

なごみ創作家として、今後どのように活動していくのですか?

「私はなごみ創作家と名乗っていますが、漫画を描くのも楽しいし、絵を描くのも大好きだし、消しゴムはんこを作ることも、洋裁をすることも楽しいんです。おこがましいですけど、これからも自分が楽しく描いたもので、誰かが楽しんでくれたなら嬉しいです。今後の夢は、絵本の挿絵を描いたり、いろんな場所で個展ができたらいいなぁと思います。人よりも遅いスタートですが、頂いたチャンスを大切に、これからも頑張ります!」

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